ナフプリオの休日 PART2

公開日 : 2009年09月30日
最終更新 :

 ナフプリオ滞在2日目はパラミディ城跡を訪ねました。以前行った際は入場料5ユーロくらいだったと記憶していますが、この日はなぜか入場料無料でした。約千段の階段を登るか、クルマで入り口付近にも行けます。それでも中はかなり広く、登ったり降りたりと息が切れるのですが、頂上に着いた時の景色は見事です。

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 前回も書きましたが、ナフプリオの街並みはとても統一感があります。「ケラミディア」と言ってローマン様式のレッドタイルルーフの屋根に統一をはかっているので、アテネと比べると非常に整った印象を受けるのです。この美しい街並みと海、ブルジィ島、対岸のペロポネソス半島を見渡すことができ、清々しい気持ちになります。

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 パラミディは1686〜1715年にかけてヴェネチア人が築いた要塞で、新市街の南側、標高216mの丘に位置します。左下の写真は港付近からパラミディを見上げたもの。パラミディの名はトロイヤ戦争におけるギリシャの英雄パラミディスに由来します。

 ギリシャ独立戦争の際、テオドロス・コロコトロニス将軍の下、トルコ軍に包囲されつつ、15ヶ月持ちこたえて陥落しなかったことで有名です。以前にご紹介したブブリーナも艦隊を率いて海側から多大な援護をしました。

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 下の写真はその英雄コロコトロニスが投獄されていた牢です。ギリシャ独立のために懸命に壮絶な戦いをリードした彼ですが、なんと2度も投獄されていた時期があったのです。どこの国の歴史でも、独立や革命前夜の政治情勢というのは、陰謀うずまき、内戦を引き起こしたりするものですが、ギリシャも然り。1度目は1824年、イドラ島で反コロコトロニス派によって捕えられます。しかしトルコとの戦況が悪化したため、ギリシャは優れた軍人としての彼を必要とし、将軍として復帰させたのです。

 そして2度目は独立後。ギリシャの初代統治者(大統領)となったイオアニス・カポディストリアスと関係のよかったコロコトロニスですが、1831年にカポディストリアスが暗殺されると、彼をとりまく状況も悪くなり再び33年にナフプリオで捕えられます。数々の名戦で民衆の熱狂的な支持を集めるコロコトロニスを排除したいという思惑の勢力も多く存在し、でっちあげの罪を着せられ、ここに投獄されてしまいました。

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 この牢は現在、中に入ることもできるのですが、本当に小さい洞穴のような空間で、こんな場所に閉じ込められていた彼の嘆きは深かっただろうと思いました。34年には死刑を宣告されますが、35年に国王オソン1世により、特別恩赦が与えられ、解放されました。その後は将軍の地位を戻され、またギリシャ政府の顧問としての名誉も与えられました。

 ちなみに前述のイオアニス・カポディストリアスはこの街で暗殺されました。今、この美しい景色を前に、昔ここで激しい戦いや血なまぐさい内乱劇が繰り広げられたことを想像するのは難しいですが、独立戦争やギリシャ近代史の舞台として様々な歴史を色濃く遺す街です。

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