ポリテクニオン・デーとギリシャの現状

公開日 : 2010年11月19日
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 11月17日はポリテクニオン・デー(ポリテフニオ)でした。1967年から74年まで続いた軍事独裁政権に対する学生蜂起記念日です。1973年11月17日、アメリカが支援していたギリシャの軍事独裁政権に対し、アテネ工科大学にてレジスタンス運動を展開していた学生たちが、軍の武力で鎮圧され、多数の死傷者が出るという事態が起こったのです。

 ポリテクニオンとは、アテネ工科大学のことで、この事件を記念して毎年、工科大学に花が捧げられます。そして工科大学(アテネ考古学博物館近く)から大規模なデモ行進がスタートし、アメリカ大使館まで続きます。

 67年、パパドプロス将軍を首相とする軍事独裁政権が発足。国民の支持を得ることはなかったのですが、アメリカの支援を受けてパパドプロスは防衛、外務、教育などの大臣を次々と兼務、年を経るごとにギリシャの独裁者と化していきました。

 この軍事政権は市民の自由な発言や芸術活動なども不当に取り締まり、名画「日曜はダメよ」の主演女優メリナ・メルクーリは政府への批判を行なったとして市民権を剥奪されました。 作曲家ミキス・テオドラキスの歌は禁止され、古代ギリシャ喜劇、悲劇までも検閲の対象となったといいます。

 街中のあらゆる公共の場でパパドプロスの肖像画が置かれ、またこの体制に対する共産党の抵抗運動も激しく展開されているというカオス的状況。冷戦下、ギリシャはアメリカとソ連(当時)のはざまで揺さぶられ、国外からもギリシャが西側につくか共産圏に抱きこまれるかで、様々な動きや圧力がありました。

 政治家のゲオルギオス・パパンドレウ(現首相ヨルゴス・パパンドレウの祖父)は軍事政権を激しく批判したため、自宅軟禁状態に置かれたまま、亡くなりました。

 73年、引き続きパパドプロスによる独裁政治が展開されていましたが、3月にはアテネ大学で学生が蜂起し、法学部を占拠。抗議運動は全国の大学に広がっていきました。5月には海軍も蜂起しましたが、失敗に終わります。

 そして11月には再び学生たちが大規模なデモを起こし、14日からアテネ工科大学を占拠。ラジオ局を開設して徹底抗戦を実況中継し始めたのです。 「エド、ポリテフニオ(ここは工科大学)」というラジオでの呼びかけから始まり、「この軍事政権、パパドプロス、アメリカ、ファシズムの支配下、皆、自由を求めて、通りに出て、ここに来て我々と自由を実感しよう」と国民に語りかけた学生の1人、マリア・ダマナキさんは後に政治家(PASOK所属)になりました。

 このラジオ放送を聞いたアテネ市民は、続々と軍事政権に対する抵抗運動に参加しました。しかしこれに対して独裁政府は、17日に工科大学に戦車で突入、幾つもの扉を破壊し、中庭から大学構内に進入、武力でこの抵抗運動を鎮圧しました。700名が逮捕、死者が80名も出て、負傷者は数百名という大惨事となりました(※死者数についてはいろいろな説があります。軍の発表では10数名)。

 この事件はギリシャ軍高級将校らの反発を招くこととなり、パパドプロスは失脚、逮捕されました。しかし軍事政権は更なる恐怖政治を推し進めながら、紆余曲折を経つつ、パリに亡命していたコンスタンディノス・カラマンリス(前首相コスタス・カラマンリスは彼の甥にあたる)が74年7月に帰国して、新政権を樹立するまで続きました。

 ギリシャは民主主義という理想政治発祥の地ですが、長い歴史の中で、この国が民主主義の下、平穏な日々を享受できるようになってから、たかだか30数年ほどなのです。

 近年、ポリテクニオン・デーには共産党をはじめ、様々な政治的団体などによる集会・デモがギリシャ全国で開催されるようになりました。大半は政府や政策に対する反対意見、不満などを訴えつつ、プラカードを持って行進する平和的なデモです。しかしここ数年、デモに過激なアナーキスト集団などが紛れ、破壊行為を行うようになりました。公共交通機関がストップしたり、道路が封鎖されるため、渋滞も引き起こされますので、観光客にとっては旅程から避けた方が無難な日です。

 ことしは2万人によるデモがいつもどおり行われました。公共交通機関のストップ、道路の封鎖、デモ隊と警察の間の小競り合いで催涙弾が使われ、23人が連行されたものの、幸いなことに大規模な破壊活動などは起こりませんでした。

 デモは毎年、老若男女が参加し、様々な主張を訴えます。しかしことしの実感としては、この緊縮政策、未曾有の不景気の下、国民の間にはかなりの疲労感が漂っており、デモ行進などにも力がなくなったような気がします。

 ギリシャは7日、14日に統一地方選挙が行われ、13地域中、8地域が与党のPASOK(同党推薦の無所属候補を1人を含む)、5地域が前政権、現最大野党のネア・ディモクラティア(ND)がそれぞれ勝利。7日の与党優勢で首相の解散総選挙発言は撤回されたものの、14日、与野党の差は縮まり、300以上の市町村で行われた市長選では無所属が躍進。アテネの前市長カクラマニス氏は、無所属のカミニス氏に敗れました。アテネの市長は1986年より24年間、ND所属の市長が続いていました。第2の都市テッサロニキ、西ギリシャ地方の首府パトラスでも無所属の市長が誕生しました。

 投票率は記録的に低かったです。ギリシャの投票率はたいてい70%前後ですが、7日の投票率は60.99%、9.10%は白紙票。ほぼ半数が棄権したことになります。

 14日の投票率は更にダウンして46.77%、白紙票は11.67%にものぼりました。2大政党のうち、どちらに投票しても政治腐敗は変わらないと国民が抗議した結果です。この投票率の低さは、ギリシャでは異例の事態で、憲法改正の議論も活発化しています。

 失業率はどんどん高まっています。2009年の8月から2010年の8月までに160402人が失業。09年8月時点は452706人だった失業者が10年8月の時点では613108人に増加しました。この1年間で、毎日(月~金)、平均して608人が解雇通知を言い渡されたことになるそうです。

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