アルバニアのユネスコ世界遺産のご紹介です。

公開日 : 2016年08月31日
最終更新 :

「地球の歩き方」バルカン地域特派員ブログ担当の牧野です。

JICA観光案件の活動の一環で、アルバニア南部に位置する世界遺産の調査に行ってきました。

アルバニアには、2つのユネスコ世界遺産があります。

ともにアルバニアの南部にあります。

1泊2日での調査日程でしたが、ゆったりとした旅行であったら2泊3日以上での日程をお勧めします。

移動は全行程セダン車でしたが、舗装された道路では全く問題ない移動でした。

途中で少しずつ寄り道したので誤差がありますが、今回の調査の総移動距離は、首都ティラナ→ベラット(約120km)→ジオカストラ(約150km)→ブトリント(約77km)→サランダ(約17km)→首都ティラナ(約280km)で、おおよそ約641kmでした。

ベラット・ギロカストラ

ベラットとジオカストラは互いに150kmほど離れており、それぞれの街の歴史、文化背景に違いはあるものの、ユネスコの世界遺産への登録ファイルとしてはオスマン・トルコ帝国時代の都市遺産として2005年に登録されました。

別名「千の窓の町」とも呼ばれるベラットの歴史地区は、マンガレムとゴリツァの2地区に分かれています。「千の窓の街」で知られているのは、マンガレム地区の方です。13世紀に建設された城下町も一部ありますが、町の起源は4世紀に逆遡ります。

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城の中心部には、たくさんのビザンチン時代の教会もあり、それぞれに独特のフレスコ画やイコンなどの歴史的価値あるものが保存されています。また、聖マリア教会は「オヌフリ」国立イコン博物館となっています。ベラットには、オスマン・トルコ時代の数多くのモスクもあります。最も古いとされる「王のモスク」は、15世紀バヤジッド2世の時代に建てられ、その立派な天井が特徴です。

ジロギロカストラの3世紀に建設されたといわれる城砦は、アルバニアで最も大きな城跡となっています。この城跡の中にある第二次世界大戦頃と思われる兵器の展示には驚きました。旧市街の伝統的な家々では、石を使って小さな城に似せるといった、地方独特で伝統的な建築様式から「石の街」とも呼ばれています。

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また、この国のかつての共産主義独裁者エンヴェル・ホジャもこの町の出身であり、彼の生まれた家は、今では民族博物館になっています。

ブトリントの古代遺跡

アルバニアのサランダ県にある1992年に登録された遺産です。

ブトリントの歴史は古く、先史時代から居住が始まり、ギリシャとローマ帝国の植民地となっていました。その後はビザンチン帝国の支配のもとで繁栄を迎え、次いでベネチア帝国に占領され、中世後期になって廃墟となりました。現在の遺跡では、この町がこれまで通ってきた多くの時代の痕跡を見ることができます。

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同遺跡で発掘された記録によるとブトリントの町は、古代トロイの都市計画に従って建設され、その名前はトロイのエネア王子がドドナの町へ向かうときに生贄としてささげた「ブトロトス」という牡牛の名に由来するとされています。

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現在のブトリントは、アルバニアの中でも一番人気のある観光地となっており、この地域における長く複雑な覇権の歴史を一同にたどることができる遺産と言えるのではないでしょうか。

いかがでしたでしょうか、今回は、上記の二つ世界遺産についてご紹介をいたしました。

ご要望・ご不明点等ございましたら、是非ご連絡ください。

よろしくお願いいたします。

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