横井庄一さんの見たグアム、私たちが見ているグアム

公開日 : 2010年08月19日
最終更新 :
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日本の皆さんにとって、“グアム”はどのようなイメージをもたれますか?

南国リゾート?常夏の島?美しい海に白い砂浜?米軍基地?沖縄の米海兵隊移転先?

グアムの人口は約18万人。紀元前1万5000年くらいに東南アジアからカヌーでこの島にやってきたと言われるチャモロ人という先住民(文字を持たない民族だったため詳細はわからないことも多いようですが…)がいますが、現在チャモロ人の方たちは37%くらいしかいらっしゃらず、次がフィリピン人でほぼチャモロ人と同じくらいで3割強、アメリカ人が15%、それ以外として中国、韓国、日本、台湾、ヨーロッパ、アフリカからの移民で構成されていて、、かなり多民族な島。そのため実はひとことでグアムを表現するのはとても難しいところがあります。

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グアムの先住民チャモロの方たちは今でも自分たちの島グアムに対してとても誇りを持っていて、2009年から発行され始めた新しい25セント硬貨には、"Guåhan Tånó I Man Chamorro (グアム−チャモロ人の土地)”と記されていますし、グアムで何かを成そうと思ったら、チャモロの人たちに協力してもらわなければ何もできない、と言われているほど。

同時に、1521年にポルトガルの探検家マゼランがUmatac(ウマタック)に寄港してグアムを発見し、1565年にスペインがグアムをスペイン王国の領地として宣言。米西戦争の結果アメリカ統治が始まる1899年まで、333年間のスペイン統治が続き、混血が進み純粋なチャモロ人はすでに存在しないと言われています。実際グアムにはスペイン統治の名残を感じられる遺跡も多く、チャモロ語もスペイン語の影響を大きく受けていますし、ローカルの人達の名前にもサントスやミラレスなどスペイン風のものが多くあります。

そして始まるアメリカ統治時代。公立学校が設置され、広く島民全員に英語教育が始まりました。その後1941年12月8日、真珠湾攻撃の1時間後に日本軍によるグアム島への攻撃が始まり、2日後の12月10日から約2年7ヶ月に渡ってグアムは日本統治下に置かれ、“大宮島”と呼ばれていました。

占領されていた31ヶ月間は日本軍による拷問も多く、日本語教育もそれほど広まらなかったようなのですが、それとは別にグアムと日本には長い歴史があるためか、グアムの食文化にはお醤油を使うお料理がとても多く見られるのも特徴的です。もちろんその後再びアメリカ統治下に戻り現在に至っているため(日本統治期間前後あわせて100年以上)、現在の公用語は英語(それでも60歳以上のチャモロ人の方たちはチャモロ語の方が得意な方もいらっしゃるようです)で、アメリカ国籍を持つことを大変誇りに思っている方が圧倒的多数のように感じます。

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第2次世界大戦後から18年間、グアムは米国人でさえ入れない立入禁止の軍事島でしたが(現在でも島の1/3が米軍基地)、ジョン・F・ケネディが1962年にグアムを開放し一般人が入島できるようになると、グアム政府は主にアメリカやヨーロッパの観光客を誘致して、今のタヒチのような長期滞在型の高級リゾート化計画を立てます。

ところがアメリカ政府が激戦地グアムをリゾート地化することに反対し、62年から68年まで計画が頓挫してしまっているところに、当時日本で団塊世代の結婚ブームでリゾート地への新婚旅行が人気があったため、日系ホテルを始めとする日本の観光業がグアムに進出してきました。これが長期滞在の難しい文化を持つ日本人向けに、空港からも近いタモン湾を中心に短期滞在型の観光客を受け入れる宿泊施設が立ち並び、現在ツーリストの方たちの多くが目にするグアムの姿の原型が作られるようになるきっかけとなりました。

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第2次世界大戦中に日本兵としてグアムに派遣され、日本軍の無条件降伏が発令されたことを知らされていなかったために28年間ジャングルで生き延びてきた横井庄一さんが発見された1972年は、まさにそのような時代でした。

1972年1月24日に食料調達のため川でエビを採っていたところを現地の猟師に発見され、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した横井さんは日本でも非常に話題になり、横井さん帰国の際、羽田空港で発した第一声「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語になるほどだったとか。またNHKで放送された報道特別番組『横井庄一さん帰る』は、41.2%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)の視聴率を記録したそうです(Wikipediaより)。

それほどの話題の人であった横井さんは、帰国した年の11月に幡新美保子氏と結婚し、翌年3月に旅費も宿泊費もメディアなどの負担でグアムに新婚旅行に来ることになります。グアムの地元紙『Pacific Daily News』によると、やはり当時身を隠していた壕などを見学する際には非常に不機嫌な様子だったそうです。

メディアや観光産業あげて横井さんの新婚旅行を華々しく執り行なったのには、当時グアムが日本人のハネムーン先として人気が出始めていたため、今さらグアムで亡くなられた2万人の日本兵のことを始め、激戦地としての歴史に光を当てたくなかったという思惑があり、日本人がグアムに対して持つイメージから戦争の記憶は薄くなってしまった、もしくは無くなってしまったと言えるかも知れません。

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現在のグアムの収入源は、7割が観光、3割がアメリカ政府による軍事関連支援金と言われ、年間100万人近いツーリストの約8割が日本人によって占められています。

またグアムは大統領選挙権を持たない準州であるため、税金は収めているにも関わらずアメリカ政府にとってグアムの必要性は大変低く、アメリカ本土とグアム島の格差がまったく考慮されていない法律を適応されることにより、さまざまな歪(最低賃金や、中国人への観光ビザの発給問題などなど)が生まれてしまっています。

さらにグアムは最初にお伝えしたように半数以上を占める民族が存在せず、チャモロ、フィリピン、アメリカ、その他の民族が共存しているため、なかなか地元民がひとつになってグアム人としての権利を獲得するための運動を起こすという動きもなかなか起こりません。

問題は山積していても、どこかのんびりしているグアムの人々。もしかしたら、歴史の荒波に飲み込まれながらも、それでもハッピーに生きるための方法を誰よりも身につけているのかも知れません。

グアムと言ったらこれ!というのが難しい複雑な歴史と背景を持つ島ですが、多民族、多文化、多言語であることが、まさに今のグアムのアイデンティティーと言えると思います。

そんなグアムのことを、皆さんにももっともっと知っていただけたらうれしいです。

*TBSラジオDigで、7月28日に「グアムの知られざる秘密に迫る!」という番組が放送され、大変よくまとまっていると思うので、少し長いですがよかったらこちらから聞いてみてください!!

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