ずばり、チャモロ・ダンスって何???

公開日 : 2012年02月12日
最終更新 :
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金曜日から昨日まで、先日ご紹介した毎年恒例の『Dinana' Minagof Dance Festival(ディニャニャ・ミナゴフ・ダンス・フェスティバル)』というチャモロ・ダンスがたっぷり堪能できるイベントが『Guam Historical Village at Gef Pa'go Park(ゲフ・パゴ公園内グアム歴史村)』で行われましたよ!

本当は毎日行きたかったのですが、私の住んでいる(そしてホテルが立ち並ぶ)Tumon(タモン)エリアから会場のあるInarajan(イナラハン)村までは車を飛ばしても片道40分はかかるのでさすがに毎日は無理でしたが、とてもお天気のよかった一昨日の土曜日の午後に楽しんできました。そして本当に行ってよかった~!!!!!というくらい素敵なイベントだったので、たくさん撮った写真の一部と一緒にご紹介しますね♪

2010年のイベントの様子はこちら☆ 写真はこちら

2012年のイベントの様子はこちら☆ 写真はこちら

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↑ 2010年のイベントの写真の一枚。

私がこのダンス・フェスティバルに初めて行ってみたのは2年前の第10回目のイベントの時。あの時は『Guam Historical Village at Gef Pa'go Park(ゲフ・パゴ公園内グアム歴史村)』に新しい堤防ができたばかりで、ステージも海が背景になるように設置されていて、青い空にTumon(タモン)とはまた違った海の景色を眺めながら子どもたちのダンスを観るのがとても気持ちよくて楽しいイベントでした♪

あまりに楽しかったので去年も行ってみたのですが、去年はちょっとイマイチかも...と早々に帰ってきてしまったのですが、お友達も同じ事を言っていたので、やっぱり毎年いろいろと趣向を変えていて、チャレンジがあるようですね:)

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なので今年はどうかな~と楽しみにしていたのですが、私の中ではかなりのヒット!!!!!

一昨年に比べて出店の数や人出は少なめだったのですが、その分ゆっくりとダンスを見ることができたのはもちろん、去年から海ではなく常設パビリオンでダンスが披露されるのですが、そのステージもグアムらしくデコレーションがしてあって雰囲気があります♪ 写真を撮るのにもとてもいい感じ:D

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でも何よりも私が今回感動したのは、ダンスのレベルが高かったこと!!!

土曜日は5時過ぎにはTumon(タモン)に戻らなければいけなかったため2つのグループのダンスしか見られなかったのですが、それでもこの2つの団体ともにとてもとても迫力があり、かつユーモラスさやかわいらしさも兼ね備えたダンスで、とてもとても素敵でしたよ!

ところでチャモロ・ダンスってどのようなものかご存知ですか?

実は古くからのチャモロ文化は口承文化で文献などがほとんど残っていないため、正確に把握することが難しいらしく、本当にネイティブなダンスがどのようなものだったかはマリアナ諸島からこの島を訪れた人達によってなんとなく表現されているものがあるだけ。そのため最初の記録と言ってもいいのは1670年頃にキリスト教の布教に訪れたイエズス修道会による、女性たちのチャモロ・ダンスに関する珍しい記録になるよう。それによると12~13人の女性がカラダを揺すり、右手に半月、左手に貝殻の箱やベルを打ち鳴らし、ひとりのテノール男性に導かれるようにファルセットを含む3つのパートにわかれて彼らの古い歴史や系図について歌いながら、楽しいリズムに合わせて踊ったとか。ちなみに彼女たちが手にしていた半月や貝殻などについてはほとんど記録がなく、もともとチャモロに伝わっていたものなのか、それとも欧米人との接触後に生み出されたものなのかははっきりしないとか。また衣装についてもあまりわからないのですが、女性はおそらくよい香りのする花輪をかぶり、時には亀の甲羅や自分のアクセサリーなどをつけた赤いシェルをつけていたそう。またウエストにはとても高価な貝殻をつけ、そこから木の根で作った紐につるした"小さくて形のいいココナッツ"を下げていたそう。またスカートは鳥かごのようで、カラダを隠すと言うよりは見せるものだったとか。

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次の記録はフランスの探検家Louis Claude de Freycinet(ルイ・クロード・ドゥ・フレシネ)によって1819年に残されたものです。この時には男女が交互に並んで車座になり、中央に栄誉を得た男性か女性が立ち、皆が彼(女)への賞賛の歌を歌うもので、大きなお祭りの時に披露されていたとか。

この時代には明らかにスペイン統治時代の影響が現れていて、特に彼はスペイン総督によって行われていた、メキシコから入ってきた"Montezuma(モンティズマ)のダンス"をもとにしたお祝いを記録していて、ダンサーたちはこのダンスの時だけカラフルで贅沢に作られたシルクやサテンの衣装を着ていたそう。またアガーニャの人々が子どもたちに帽子を持って踊らせたり、男の子が女の子をコケティッシュに追いかけて最終的に女の子のほっぺたにキスをしたりして、カジュアルに楽しんでいたことについても記録しているようですよ♪

ちなみに1900年初頭に生まれていたご年配の方たちによると、スパニッシュ・ワルツや、ヨーロッパのポルカに似たリズムや足の動きをするダンスなどスペイン統治時代に伝えられたダンスのことしか思い出せないとか。

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また"Bailan Ha'iguas(Coconut Shell Dance=ココナッツ・シェル・ダンス)"というのはもともとフィリピンで生まれたものと思われているとか。フットワークや動きは4分の3拍子なのですが、半分にしたココナッツの殻を両手に持ち、ダンサーたちが様々なリズムでこのココナッツの殻をうち鳴らしながら踊るというもの。これと同じリズムとビートは、細くて長い棒を両手に持ち、入り組んだリズムで棒をうち鳴らして踊る"Bailan Pailitu(stick dance=スティック・ダンス)"にも見られるそう。このようなダンスに使われている音楽や歌は明らかにスペインやメキシコのスタイルのものなのですが、それでも歌詞はチャモロ語で、農作業から釣り、求愛までテーマは様々で、時にとてもロマンチックな要素が含まれていたそうです。

ところが残念なことにこうしたスペインの影響は1899年に始まるアメリカ海軍時代の到来と共に薄れていきます。チャモロの人々は海軍によって毎週金曜日の夜にHagatna(アガーニャ)のPlaza de Espana(スペイン広場)で開かれていたビッグ・バンド・ミュージックと出会い、ボール・ルーム・ワルツやラグタイム、フラッパー・ダンスなど、当時アメリカで流行っていたダンスを踊るようになり、第2次世界大戦後はチャ・チャ、タンゴ、ロックンロールなどが人気になり、スペイン統治時代のダンスは"トラディショナル・ダンス"として過去のものにになったそうです。

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このように記録が大変少なく、初期のチャモロ・ダンスがどのようだったのか、そしてどのように発展してきたのかということに関してはあまり知られていない上に、アメリカ文化が入ってくることによって過去のものとされてしまったチャモロ・ダンスですが、幸いなことに数十年前にFrancisco B. Rabon(フランシスコ・B・レボン)氏によってもともとのチャモロ・ダンスのコンセプトが復活します。

と言っても、彼はただ単に昔のダンスを蘇らせた訳ではありません。もともと記録が少ないのですが、その再現は彼が学んだ音楽や触れた人々との影響をもとに進められていきます。

彼は学生時代にアメリカ本土でハワイの人たちと出会い、彼らからハワイアン・ダンスを学ぶのですが、1983年にグアムに帰国すると、70年代初頭からグアムに多くやってくるようになった日本人観光客のためにTumon(タモン)地区のホテルで行われていたポリネシアン・ショーがいたるところで見られるようになっていました。そして1985年にタヒチで行われたFestival of Pacific Arts(太平洋アート・フェスティバル)でグアムをプレゼンテーションするにあたり、レボン氏がダンスの振付を手伝うことになります。

この経験から、他の太平洋の島々のダンスの文献を集め、レボン氏は昔のチャモロの生活を再現する、古くから伝わるチャモロ・ダンスの復活に取り組み始めます。その上で彼のポリネシアン・ダンスの経験はダンスの動きに大きく影響し、リズムを取るのに、瓢箪で作られたハワイの楽器Ipu Heke(イプ・ヘケ)を彼のダンスの中にも取り入れました。

今では彼が再現したダンスがチャモロ・ダンスとして彼の生徒たちから生徒たちへと代々伝えられているのですが、その中のひとつに"Bailan Uritao(Young Man's Dance=ヤング・マンズ・ダンス)"というものがあります。これは若い独身男性が戦士として受けるトレーニングの様子を表現したもので、激しくジャンプをしたり叫んだり、長い棒を打ちつけあったりする、正確性や機敏さを求められるダンスで、戦士としての力を見せるためのもの。

次にこのダンスのあとによく踊られるのが"Bailan Lina'la'(Dance of Life=ダンス・オブ・ライフ)"という女性たちによって始められるダンス。これはイエズス会による記録を元に再現されていますが、女性たちは当時の記録のようなものではなく、ココナッツの葉で作ったスカートとトップスを、男性たちはマイクロネシア・スタイルの衣装を着用します。

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レボン氏たちは古典、スペイン統治時代、コンテンポラリーの主に3つに分けてダンスを分類しているのですが、前述のFestival of Pacific Arts(太平洋アート・フェスティバル)は特に古典ダンスの発展に影響を与えてきました。

ハワイの人たちはチャモロ・ダンスが動きや音、特にハワイの楽器Ipu Heke(イプ・ヘケ)などをハワイから"借りている"と言っていたようですが、レボン氏はよりチャモロ文化を継承し反映させるために、できるだけミクロネシアのスタイルを取り入れるように指導したそうです。

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というわけで、チャモロ・ダンスを一言で説明して頂ける機会がなくて、チャモロ・ダンスってなんなんだろうとずっと思ってきたのですが、その成り立ちにはグアムの翻弄された時代背景が大きく影響されていて、ある意味、いろいろなカルチャーがミックスしているこの島そのものを表現しているものなのですね。

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今年は不況の影響を受けてか、出店などが以前に比べてずいぶん減っていましたが、それでもこうしたチャモロ独特のアクセサリーなどのお店もあり、来年がまたどのようなイベントになるのか、今からとても楽しみです:)

また2月の最初の時期に行われると思うので、ぜひ来年もチェックしてみてくださいね!

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