大地震

公開日 : 1999年08月20日
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8月17日午前3時。イスタンブル新市街に住む私の家の窓も、ぎしぎしと鳴った。約45秒の地震の後情報を得ようとテレビを点けたが、3分もせずに停電になった。暗闇の中で携帯電話が鳴った。1本は被災地に近いアダパザールからだった。「イスタンブールは大丈夫ですかっ?こっちは家が崩壊したみたいなんですよ!」停電は翌日昼ごろまで続き、朝刊に間に合ったわずかな情報のほかに、イスタンブールでは情報の入手方法がそうなかった。私は仕事に出かけた。今日は旧市街を案内しなければならない。会社に電話したが、半数は来ていなかった。停電ではオフィスワークは出来ない。いつものことだ。旧市街ではトラムが止まっていた。バスや飛行機は通常通り運行しており、主な観光名所のどれもが無傷だった。アヤソフィアなど1400年を超える建物が無事なのに対し、ここ2、3年に建てられた細い鉄筋のセメントをけちったアパートなどは、郊外でまるで紙製の模型のようにぺっちゃんこだった。瓦礫の下からの声はだんだんと力を失っていく。これは天災ではなく人災ではないのか。実際の所、イスタンブル市内にいると郊外の地獄が感じられない。が、テレビが伝える惨状は時間を追って悪化していくようだ。夏の暑い気候が死臭を撒き散らす。震源地に近い都市では、死体を置く場所さえ残っていない。日本でもトルコでもたくさんの救済基金窓口が設置された。しかしこれが実際の被災地に届くのはいつだ。長くこの地に暮らす誰もが、この善意のお金が被害者に全て届くとは信じていない。空港に着いた救助団は何処に行けばいいのか、誰が連れていってくれるのかわからないまま苛々している。公的機関の手は回りきらない。今、人が死んでいくのに一部の善意は足止めを食らっている。イスタンブールでは社会は正常に機能しているが、昼間死臭をかいで戻ってきた日本からの取材班が日本食料理店で大金を払ってくだを巻く。そのお金を水に変えて、毛布に変えて、どうして今日尋ねた場所に届けては来なかったのだ?観光の観点から言えば、イスタンブールを含む観光地各所に問題はない。しかし郊外への道も復旧している。国内線で飛べばさらに問題はなにもない。問合せをたくさんいただく。余震もおさまったようだし、観光客の減少は、観光が基幹産業であるこの国の体力を減少させ、二重の苦しみに陥らせてしまうことにどうか気が付いて。出来るならぜひ旅行を実現して頂きたい。貴方がトルコを楽しんでくれること、それが救済にもつながっていくことをわかって。地震にも耐え抜いたブルーモスクをトルコは誇るだろう。何かできることはないかとメールをくださる方々、義援金の送り先は慎重に選んで。使い方の無駄のない、用途のはっきりした団体を選んで下さい。私はとりあえず、小さいですが以下の所をお薦め。トルコで3年以上暮らした人がボランティアとして参加、具体的な活動をしていってくれるはず。http://www2u.biglobe.ne.jp/~cfp/市民平和基金。

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