I'm TURKISH MAN in NY

公開日 : 2001年09月24日
最終更新 :

ニューヨークで起こったまるで映画のような現実ばなれしたテロは、もちろんトルコでも連日新聞のトップを飾っている。ただ日が経つにつれ、熱しやすく冷めやすいトルコ人たちは一連の出来事を「ブッシュの策略」と片付けて対岸の火事見物を決め込み始めた。そんな中、9月21日のサバー紙にこんな記事を見つけた。最悪のテロを素材にふざけすぎとのご指摘もあろうが、ここに書かれたトルコ人気質と行動哲学にはうなずける部分も多い。トルコ流サバイバル指南、概略を翻訳しておく。

俺はトルコ人だ、誰にもやられないぜ!

テロ発生後崩壊したニューヨークのツインタワーに勤務していたトルコ人の大半は生き残った。エスプリの効く我が国民の一団は「トルコ人の生き残り法」をまとめた。

① いつも最悪のケースを考えている

すべての事柄について最悪のケースを想定することが習慣になっているトルコ人が、ビルが大音響とともに揺れた時、頭に浮かべたことはこの2つだ。「飛行機がぶつかったのか、地震が起こったのか!?」同じビルにいたアメリカ人たちはといえば、電気系統か空調設備の爆発だと考えていた。トルコ人が緊急脱出を考えている間も、アメリカ人は机上の仕事を続けた。

② 俺達は指示やアナウンスに用はない

公式指示やアナウンスもなんのその、真剣に受け止めなかったトルコ人たちは、流れてくる「ビルを放棄しないでください」の注意喚起にも耳を貸さず、階段に走った。

③ 命なら取れ、でも携帯は取るな

ちょうどこの時、いつも電源を入れっぱなしであった、最も重要な会議中でさえ切らなかった、トイレでもどこでも肌身はなさなかった携帯電話が鳴り始めた!携帯電話をまるで自分の心臓のように、決して放せないものとしたトルコ人が正しいことが証明されたのだ。

④ 燃えてるぞ、逃げろ!

家族の強い結びつき、妻、親友、同郷の仲間達も役に立った。携帯から携帯へ、電話は鳴り続けた。「テレビで見たんだ、お前のビルに飛行機がぶつかった、燃えてるよ!後ろを振り返るな、まっすぐ逃げろ!」

爆発の謎は解けた。今、何よりも優先されるのは逃げること、ビルから脱出することだ。

⑤ 警察も消防署員も信用できるか

階段を最高速で駆け下りるトルコ人の前に立ちはだかり、「戻ってください、落ち着いてください」という警官や消防署員の声にも耳を貸さなかった。前途をさえぎるものはなにであろうと、押して圧して次々に降りていった。警察も消防署も信じないのは、トルコの伝統的な習慣だ!地震とテロの経験のおかげで何をどうしたらいいのか良く知っていたがために、ルールもへったくれもなく表に飛び出した。ごらん、ビルから生き延びたトルコ人が何を言ってるか。「前方にいたアメリカ人達は責任者達の言うことを聞いて、階段の右端を一列に並んで下に下りていっていた。警察に、なんで左を使わないんだって聞いたよ。彼は上に登る人のために空けてあるんですって答えた。俺は見たんだ、上は火の海だぜ。そう言い残して、一人、ジェット機みたいに左を駆け下り、ビルから脱出した。その2分後にビルは倒壊したよ。」

自分の見たものしか信じない、パニックになったら生まれつきの無法者と化すトルコ人は、そのおかげで助かった。

⑥ 朝寝のほうが仕事より大切

仕事人生を軽視するトルコ人だから、その多くはタワーへの仕事へも元々来ちゃいなかった。日本人を筆頭とするほとんどの人々は8時に仕事を始めた。事件が起こったのは8時45分、しかしこの時刻トルコ人の大半はビルの外にいた。一つ例をあげよう。ビルにあるトルコ写真館で働く40人のうち36人はまだ到着してなかった!理由は簡単。

・ トルコ人はいつも職場に遅刻する

・ 朝、セットした目覚ましがなった時「あと2分」とスイッチを切る。その2分がだんだん伸びて、遅刻することになる。その日も少なくない数のトルコ人が同じことをやったはず。

・ 病気だとうそをついて仕事を滞らせるのは、かけがえのないトルコ人の習慣。運命が見方をした者たちはその日も「病気なんだ」という機会を使った。

・ トルコ人は車の扱いが荒い、きちんとメンテナンスをしない。事件が起こったのが朝だったため、仕事にでかけようとするかなりの数のトルコ人の車は動かなかった。

・ トルコ人は、普通10分の道に20分かける。なぜなら:タバコを吸う、余所見をする、携帯で話してそれを途切れさせないように、もっとも遠回りの混んだ道を選ぶ。悪習慣のように見えるこれらの行為が、彼らの命を救ったのだ。

⑦ トルコ人なら先を見る

先見の明があるトルコ人達は、ビルを脱出してからも動きを止めず、スピードを緩めずにビルの周りから遠ざかった。この時、アメリカ人達はまだショックから立ち直れずに、燃えあがるビルを呆然と見ていた。そこにいたトルコ人の女の子の話を聞こう。「振り返らずに走ってたわ。だって地震の時も頑丈なビルが、ゆれから15~20分後にガラガラと崩れ落ちたもの。アメリカ人達は携帯で家族に電話して「助かった」って言ってた、でもビルが崩れた時、この朗報は携帯電話とともに瓦礫の下に埋もれたはずよ・・・」

⑧ 多数派だったら、自滅していただろう

トルコ人が一番幸運だったのは、事件の当事者となったトルコ人の数が少なかったこと。そうでなければ皆が皆抜け目のないトルコ人のこと、お互いに悪いとも思わず潰し合っただろう。そしてテロのためではなく、トルコ人がトルコ人に行う行為のために死に、自滅してしまったろう。

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