すべてはここから始まった?

公開日 : 2009年12月06日
最終更新 :
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平安時代、ここには天皇が政務を執った大内裏朝堂院の正殿である大極殿(だいごくでん・だいぎょくでん)がありました。今、それを表すものとしてこの交差点の北西側の歩道上に「大極殿跡」と書かれたタイルが埋め込まれています。また交差点の北西の少し奥まった所にある公園(内野公園)に「大極殿遺址」と彫られた大きな石碑が立っています。この碑は平安遷都1100年記念祭を機に明治28年(1895年)に建てられたもので、その位置は大極殿を囲んでいた回廊があった場所と重なるそうです。

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平安時代の京都、すなわち平安京についてはこの交差点から丸太町通を西へ300メートルほど行った所にある京都市平安京創生館(京都市生涯学習総合センター 京都アスニー1階。入館無料)で詳しく知ることができます。ここは造酒司(みきのつかさ:朝廷の行事で使う酒や酢を醸造していた役所)の倉庫があった場所で、遺構が地中に保存されており、その柱穴の輪郭が建物の入り口前に示されています。

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一昨日、私が行った時は来館者が少なく、解説員と1時間以上も話し込んでしまいました。流して見学すれば20〜30分ほどで見終ってしまいそうですが、平安京の再現模型は見飽きることがなく、他の展示物もじっくり見て回って2時間過して来ました。平安京に旅してみたい方は是非足を運んで下さい。

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ついでながら平安京の実際の大きさは東西4.5km、南北5.2km。大内裏(平安宮)は東西約1200m、南北約1400mで現在の京都御苑(東西約700m×南北約1300m)よりも広く、御苑の東側を鴨川の対岸まで、また北側を同志社大と同志社女子大のキャンパスの半分を覆うほどまで広げた大きさになります。

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