可動祠 ‐神泉苑
そもそも神泉苑は大内裏の禁苑、すなわち天皇の庭でした。弘法大師空海による雨乞いや祇園祭の起源とされる御霊会(ごりょうえ)が行われたことなどが特に有名で、往時は大変広大な庭園だったようですが、今はその何十分の一かにまで小さくなってしまいました。
その神泉苑に日本で唯一という歳徳神(としとくじん)を祀る恵方社(えほうしゃ)があります。この恵方社の祠(ほこら)は動かすことができ、毎年、恵方に合わせて向きを変えます。今年の恵方は申酉(さるとり)の方角、すなわち西南西です。そして今日、神泉苑では節分祭が開かれ、境内にある料亭(神泉苑平八)が作った、ほぼ全国区となった感のある恵方巻(節分の日に恵方を向いて食べると縁起が良いとされる太巻き寿司)が売られていました。
祠は毎年、大晦日の晩に住職らが持ち上げて向きを変えるそうです。祠を恵方に向けるのではなく、参拝者が恵方を向くように祠は恵方と反対の方角に向けられます。上の写真は左から一昨年、昨年、今年の恵方社の様子です。
神泉苑は元々、東は大宮通から西は壬生通までの約240メートル、北は二条通から南は三条通までの約500メートルの広さがありましたが、現在は南北が御池通と押小路通に挟まれた約90メートルで、東西は70〜80メートルほどしかありません。20〜
17年前に行われた地下鉄東西線建設のための発掘調査により神泉苑の東西の範囲が確認され、二条城の南の押小路通沿いにそれらを示す碑が建てられています。
☆以下は文中に載せきれなかった写真です。折角なので見て下さい。
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