冬の神護寺
こんにちは 新しく京都特派員になりました Akioと申します。
宜しくお願い致します。
右京区の山間にある高雄ですが、冬場にはとても冷え込む所です。
神護寺にやって来ました。
神護寺へ上がる石段は、まさに神護寺の歴史の語り部の様な風格があり、長い急斜面の石段が続きます。
自然石を、積み上げた石段ですからも一段一段
味わいのある石段が続きます。
この石段は、最澄そして空海が登った石段です。
神護寺は、空海が遣唐使で帰国後、14年間 住持していたことでも知られています。
急斜面の石段を登って行くと 大きな山門が迎えてくれました。
山門をくぐり 境内に入ります。
急斜面の石段参道から 一転して・・広い境内が現われました。
おおっ 境内は 真っ白な雪景色です。
雪景色の境内を進んで行きました。
金堂に続く 石段です。
神護寺は 奈良時代に 修行者の道場として開かれました。
805(延暦24)年には 唐から帰国した最澄。
810(弘仁元)年には 唐から帰国した空海が 修行しています。
金堂です。
威厳、そして風格のある素晴らしい金堂の建物です。
金堂前で耳を澄ますと風が渡って行く音が聞こえて来ます。
千二百年前・・最澄・・・・そして 空海が 聞いていた 風の音の世界。
今でも 市内からは遠い神護寺ですが・・・千二百年前の 神護寺は、人里からは
遙かに離れた 修行の山だったと思います。
山の上からは 高雄の山々が 広がっていました。
晩秋の頃の神護寺は 紅葉の名所です。
しかし・・・今は 冬空が続いていました。
神護寺で過ごした最澄は、 後に延暦寺で
空海は、後に東寺で仏教の教えを 広めて行きましたが
勉学と修行の場がここの自然であり 風や大気だったのでしょうね。
冬の神護寺でした。
筆者
京都特派員
Akio
京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。
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