龍馬を思う濠川の紫陽花。

公開日 : 2017年06月16日
最終更新 :
筆者 : Akio

伏見を流れる濠川(ほりがわ)では紫陽花が

見頃を迎えています。

水路の春は桜。

今は約12000株の紫陽花。

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伏見の歴史は、豊臣秀吉から始まり

水路は、伏見城の築城資材を運ぶため造られました。

伏見は豊かな地下水に恵まれ、流域には酒造会社が多く、白壁の酒蔵が立ち並んでいます。

紫陽花の向こうに見えるのは、月桂冠の酒蔵。

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江戸時代の水路沿いには、酒蔵と共に廻船問屋並び、多くの小舟が往来していたそうです。

坂本龍馬で有名な寺田屋さんも、すぐ近く。

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川から上がると、寺田屋さん。

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江戸時代の伏見は、大阪と京都を結ぶ淀川の舟運の港町として栄えた町で、

寺田屋のような船宿は何件も軒を連ねていました。

又、この辺りは鳥羽伏見の戦いで、薩長を中心とした新政府軍と、

幕府歩兵隊・会津藩兵・新選組など

新政府軍と旧幕府軍の間で、激しい戦闘が行われた所でもあります。

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再び濠川に戻ります。

伏見城が存在した(1594年)頃の濠川は、城の外堀でしたが

龍馬の生きた時代には、ほぼ、この様な水路だったそうです。

寺田屋事件(1866年)の時、濠川を使って薩摩島津屋敷まで逃れたとも言われています。

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龍馬は、水路の船を大いに利用したそうで、寺田屋事件で怪我をした龍馬が、

しばらく薩摩藩邸にかくまわれた後、妻のおりょうと共に薩摩へ向かった

「日本最初の新婚旅行」も、ここの船が始まりだったそうです。

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水路を運行している十石舟は、川の港町としての、

伏見の歴史を伝える観光屋形船です。

龍馬を思う濠川の紫陽花。

見頃です。

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《伏見濠川》

○所 京都市伏見区南浜町

○アクセス  京阪電車「中書島」下車5分。

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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