アカデミー賞の舞台 哀愁トリエステは歴史に翻弄された

公開日 : 2016年05月03日
最終更新 :

イタリアのもうひとつの顔、トリエステという街がアカデミー賞映画の舞台になりました。

スロベニアとの国境に近い街は、第一次世界大戦まではオーストリア・ハンガリー帝国の領土として、また第一次大戦後はイタリア領となり、第二次世界大戦を終えてからはイタリアとユーゴスラビアがその所有を巡って争いを続けてきました。

イタリア領トリエステ自治区となった現在でも、これらの国の影響が色濃く残っているといわれています。

トリエステで、どうしても訪ねてみたい場所がありました。

イタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(イタリア語=La Vita e Bella)で、舞台になったといわれる実在するユダヤ人強制収容所、リジエラ・ディ・サン・サーパ(Risiera di San Saba)です。ストーリーでは後半部分にあたります。

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この作品は1998年のアカデミー賞、1999年のカンヌ国際映画祭などで数部門を受賞しました。

監督、脚本、主演したイタリア人コメディー俳優、ロベルト・ベニーニが大絶賛され、一躍有名になりました。コミカルな演技とおしゃべりな彼のパフォーマンスを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

ベニーニが歴史をベースに作り上げた作品です。

第二次世界大戦中、イタリアでもユダヤ系の人々に対する風当たりはきつくなり、ドイツ軍からの強制連行から一定の場所に収容され"死の道"を強いられます。そんな中、「ライフ・イズ・ビューティフル」の主人公、グイードは息子ジョズエに「これはゲームなんだよ」とさとし、不安にさせないよう一生懸命、架空のストーリー作り上げ収容所での生活を続けるのでした。

敷地内の収容部屋は薄暗く、狭い空間は中に入り写真を撮るのも気がひけました。

risiera di a.saba camera.JPG

訪問したのは4月の快晴の日でした。

ただ入り口から高いコンクリートに両脇を囲まれた通路に足を踏み込むと、背筋がひんやりします。

気持ちを正さずにはいられませんでした。

入場無料のこの施設では、学生の数グループがスタッフの方々の熱心な説明に耳を傾けていました。

もともとお米を乾燥させるために使われていたそうです。ですが1944年4月に強制収容所となってしまいました。

同大戦中にはユダヤ系イタリア人の遺体焼却炉として、1000人から1100人もが高温で焼かれ灰になったといいます。

1965年にはイタリア国宝モニュメントとして登録されました。

決して忘れてはならない、風化させてはならない歴史がそのまま残されている貴重な場所です。

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中央正面の3階までの色の違う部分が焼却炉でした。

広場を見渡しながら深呼吸しようと、ふと空を見上げると建物のてっぺんに拡声器が設置してありました。

ふと映画の中のあるシーンがよみがえってきます。

ベニーニ演じるグイードが妻を恋しく思い、男女別の収容所内の放送室からマイクを乗っ取り、会えない妻に呼びかけます。

「ボンジョールノ! プリンチペッサ(おはよう! 愛しのお姫さま) 君の夢を見たよ」。

ユダヤ系ではない妻ドーラは、夫と子供を追って自ら志願して収容所入りしていたのでした。

この旧収容所近くにはイタリア国内でも最大級のユダヤ人墓地があります。

トリエステの人々はよくあるイタリア人の典型的なイメージとはずいぶんと違う気がしました。

几帳面で真面目、誠実で少しシャイでいてトリエステ人であることを誇りに思っています。

このリジエラ・ディ・サン・サーパへ行くバスの中でも、花束を手にして墓地の向かう現地の方々が何人もおられました。

下車すべきバス停の直前まで私達がのんびりとしていると、行き先を告げていた運転手を含め数人の乗客の方々から「ここよ! ここで降りなきゃ。すごくの角を左に曲がってね」といっせいに声をかけられました。地元の人々の温かさが伝わってきて、感謝の一言でした。

さて市内中心部に戻って、海沿いの中心部から険しい坂道を登って行きましょう。

la scesa per s giusto.JPG

その昔、罪人が引かれていったというこの坂を登り切ると、小高い丘には、サン・ジュスト大聖堂(Cattedrale San Giusto)がたたずんでいます。

Cattedrale s.giusto dentro.JPG

13世紀の聖母マリアがキリストを抱えたモザイクが見事です。

また丘から海と港を見渡す景色も素晴らしく、トリエステが中世から貿易港として栄えていたと実感できました。

最後にもう一つだけ、トリエステゆかりの詩人について書かせてください。

libreria s. saba.JPG

ウンベルト・サーバがその人です。複雑な運命をたどった哀愁のイタリア詩人として活躍する一方で、古本などの書店を経営していました。

現在でも「ウンベルト・サーバ書店」は存在しています。街の中心地のこの書店の近くには、彼の銅像もありしっとりと移り行く日々を見守っている様子です。

サーパに関しては、須賀敦子さんの著作「トリエステの坂道」や「ミラノ霧の風景」などを読んでいただけると、よりその人となりをご理解いただけるでしょう。

イタリアの端っこにある温かみと哀愁のトリエステという街・・・・典型的なイメージとはイタリアの別の顔を持つこの街に機会があれば一度、ぜひ足を運んでみてくださいね。

http://www.turismofvg.it/Locality/trieste

http://www.inyourpocket.comtrieste/trieste-office_112910

http://visitaly.jp/travel/friuli-venezia-giulia/trieste (イタリア政府観光局)

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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