ミラノと共に60年 大パノラマ 超高層ビル・ピレッリ展
皆さん、こんにちは。これがどこから何を見た写真かおわかりになられますか?
「うーん? 何だか、どこかで見たような・・・」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
はい、正解はここから眺めたミラノ中央駅と中央駅前広場です。
"ここ"とは・・・・
ミラノが州都市となっているロンバルディア州議会ビル、通称ピレッリ・ビルです。ピレッリ(Perelli)はタイヤ・メーカーとしてよく知られていますね。大きなピレッリという意味で、ミラネーゼはピレッローネ(Pirellone)と呼びます。
26階からの眺めは最高ですねー。
このピレッリ・ビルが今年7月に建設60周年を迎えたということで、特別展示「La eta' del Grattacielo(The age of Skyscraper)」が9月11日まで行われているので、行ってきました。
通常は入ることのできない超高層ビルの26階が会場となっています。
戦後の高度成長期など、移りゆくミラノの時代を眺めてきたビルの歴史が4つのテーマに分かれて詳しく、そしてわかりやすく紹介されていました。
完全予約制で1回の定員は20人。所要時間は約30分で、私の場合は貸し切り状態でロンバルディア州職員のフィオレッラ・カプッツォさんが案内してくださいました。
旅行客の多いミラノ中央駅は、そもそもイタリア・ファシズムの政治家、ムッソリーニの権力の象徴として建てられたものでした。
そのため、第二次世界大戦での損傷も多く、このピレッリ・ビルのある周辺もミラノ方言で"焼野原"と呼ばれていたそうです。
そんな中、新しい時代、新しいミラノの象徴としてピレッリ・ビルの建設計画が持ち上がります。当時の建築家第一人者であるジオ・ポンティ氏らのプランで1956年7月着工、1960年4月に31階建て高さ127.10㍍の超高層ビルが完成しました。4000㌧の鉄が用いられたそうです。
ちなみにミラノの象徴ドゥオモの高さは108㍍だそうです。
一躍、モダンなミラノのアイコンとなったこのビルは、巨匠ルキーノ・ヴィスコンティの映画や数々のファッション誌の撮影に引っ張りだことなりました。
時代を反映する超高層ビルというだけでなく、広範囲にわたってデザインの街、ミラノを象徴する上昇気流に乗っていったのでした。
しかし2002年4月、思いもかけない不幸がピレッリ・ビルを襲います。
あるスイス人が操縦する小型飛行機がビル上層階に激突、突き刺さったのです。このスイス人を含む3人が犠牲となりました。
カプッツォさんも「あの事故時の数日間のことは忘れられない。書類の白い紙がビルの数階にわたって飛び交い、火災の焦げ臭さが続いて・・・・・」と、当時どれだけショックだったか話してくれました。
悪夢の時代を経て再び、新しいピレッリ・ビルの時代が始まりました。
展示会場になっている26階はメモリアル・ホールと呼ばれており、2002年4月18日の仕事中に事故に遭われ亡くなられた二人のイタリア人弁護士の方の名前と、彼女たちに捧げる言葉が刻まれたレリーフが残されています。
この展示はわずか3ヵ月間の企画展でしたが入場者数は1000人を超えたとか。
好評につき11月までの延期も検討しているとのことです。
グラッタチェロ・ピレッリ(Grattacielo Pirelli/Pierelli Tower)
http://www.consiglio.regione.lombardia.it/etadelgrattacielo
住所 Via Fabio Filzi 22
月曜から金曜、9時半から12時半、14時半から16時半。9月11日まで、完全予約制、無料。
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