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日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


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霊山寺の歴史は飛鳥時代にまで遡ります。天智天皇が造営された近江京の時代に、右大臣を務めておられた小野富人(おののとみと?)という方がおられました。彼はかつて聖徳太子が隋の国へ遣わした、あの有名な小野妹子(おののいもこ)の息子さん。


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672年に起こった壬申の乱(じんしんのらん)の後、大海皇子(おおあまのみこ)が天武(てんむ)天皇として即位されると、小野富人は右大臣の職を辞し、この登美山(とみやま)の地に住み、登美仙人または鼻高仙人(びこうせんにん)となられました。その後、熊野本宮(くまのほんぐう)にお参りした際に出現した薬師如来のお告げにしたがい薬師三尊を祀り、薬草を栽培し薬湯を設けて病人を癒したと云われています。

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奈良時代には、聖武(しょうむ)天皇の皇女、阿倍内親王(あべないしんのう)が病に臥せられた時に、天皇の夢枕に鼻高仙人が立ち、登美山の薬師如来の霊験を説かれました。さっそく当時もっとも信頼していた僧、行基(ぎょうき)を登美山につかわして祈願させたところ、皇女の病が平癒。そのパワーにあやかるため聖武天皇は行基に命じて霊山寺を建立させました。


その二年後に日本にやってきたインドの僧・菩提僊那(ぼだいせんな)が、彼の故郷の霊鷲山(りょうじゅせん)に似ていることから霊山寺と名付けられた…という話が伝わっています。ただ、この話は続日本紀やその他の正史には載っていないので、事実は明らかではありません。


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明らかではないとはいえ…菩提僊那は752年の大仏開眼のときに導師をつとめ、目に墨を入れた(つまり目玉を描いた)インドの高僧であり、このお寺に供養塔があることを鑑みると、あながち嘘とは思えないですね。


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さて、歴史はこれくらいにして、本堂から約1kmほど緩やかな坂道を歩いたところにある奥ノ院を目指します。景色は何の変哲もない一本道ですが、小鳥のさえずりを聴きながら歩くととても気持ちが良いです♪


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ひたすら歩いたところに、また朱が鮮やかな鳥居があらわれます。


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ここから奥ノ院に続く少し長めの階段を下りていきますと、いかにも神域に入り込むような空気が感じられます。


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川を越えた所にあるこちらが弁才天を御祭神とする奥ノ院です。実は弁才天をお祀りするようになったのは昭和に入ってからだそうですが、この場所の放つ空気は何ともパワーありそうな感じがいたします♪

まったく侮れませんね…。

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さて、また1kmの道を下ってきますと黄金殿、白金殿の向かい側の階段を少し上った所に、彩色の美しい三重塔が立っています。あまりにも彩色が綺麗なので再建かと思いきや、本堂と同じく鎌倉時代に建てられたもので、重要文化財に指定されています。内部の障壁画もかなり保存状態が良いとのことです。

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入り口を入ってすぐには本格的なバラの庭園(季節限定で開園)や、薬師湯が楽しめるお風呂屋さん、なぜかゴルフの打ちっぱなし場まで完備されている…霊山寺は常識では計り知れない凄いお寺なので、とにかく一度足を運んでゆっくりとお参りしていただきたいお寺なのです。


2018年11月15日

今回は奈良市の霊山寺(りょうせんじ)を紹介いたします。「れいざんじ」と読まずに「りょうせんじ」と読むのがいかにも仏教寺院らしい読み方ですね。


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参道には大辯才天と書かれた扁額が掛った大きな鳥居があるので、一瞬入り口を間違えたのかと錯覚してしまいますが、参道の鳥居をくぐりますと、いわゆる「守り本尊」と呼ばれる仏像がずらりと立ち並んでいるので、一気にお寺の雰囲気が出ます。

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向かって右側の「子」を守護する千手観音菩薩から左側の「戌・亥」を守護する阿弥陀如来までの八体の仏像が並んでいますが、ちょっと新しすぎますね。


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少し歩いたところで見上げると、木立の中に何やら変わったものが建っています。何となく天体観測の施設のようにも見えますが、こちらはれっきとしたお堂なのです。

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少し写真だと分かりにくいかも知れませんが、こちらは大辯才天(だいべんざいてん)が祀られている、金箔貼りの黄金殿。


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そして王龍神(おうりゅうじん)を祀る銀色に輝く白金殿…つまり銀ではなくプラチナ箔貼りのお堂なのです。本当の銀箔ならば酸化して真っ黒になってしまうのだそうです。

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両方ともに宝形造の屋根が付いたお堂ですが、厳重なアクリル製のケースに守られていますので、めちゃくちゃ写真が撮りにくいのが悩み…。

このお寺はいったい何なの?どう見ても成金趣味の嘘くさい雰囲気が漂ってきて、いかにもお金儲け目的のお寺みたいな感じが漂っていますが、ここからが地方のインチキ寺とは違うところ♪


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目の前に現れたのはこちらの本堂。鎌倉時代の建築で、国宝に指定されていますし、ご本尊の薬師三尊像は平安時代の作で、すべて重要文化財に指定されています。周りを取り囲むように立つ十二神将や四天王も小さな像ではありますが躍動感にあふれた素晴らしいお像ばかりです。

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霊山寺の境内は、この本堂からまだ1Km先にある奥ノ院まで続く広大なもので、続きはまた次回に。


2018年11月 8日

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今回は真言律宗の総本山・西大寺(さいだいじ)を紹介いたします。


真言律宗というのはあまり聞き馴れない宗派かもしれませんが、弘法大師の真言密教における出家戒である「具足戒(ぐそくかい)」と、金剛乗の戒律である「三昧耶戒(さんまやかい)」を修学しつつも、鑑真和上によってもたらされた律宗精神の再興の意義も併せ持つ宗派であります。


創建の由緒は、奈良時代の764年に孝謙(こうけん)上皇が、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)によるクーデター(いわゆる恵美押勝「えみのおしかつ」の乱)平定を祈願して、四天王像の造立を発願されたことに始まります。ほどなく乱は鎮圧され、孝謙上皇は重祚(ちょうそ=一度位を退いた天子が再び位につくこと)されて第四十八代・称徳(しょうとく)天皇として即位されました。その翌年に常騰(じょうよう)という僧を初代別当として、四天王を祀る西大寺が建立されました。


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「西大寺」という寺名は、称徳天皇の父である聖武(しょうむ)天皇が建てられた、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には四王堂をはじめ、薬師金堂、弥勒金堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持っていたそうです。

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その広さはおよそ27万坪ということなので1km四方の大きさ。ちょうど京都御所を取り囲む京都御苑と同じくらいのスケールになることになります。

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しかしながら、平城京から長岡京へ、そして平安京へと遷都してからというもの、お寺は衰退の一途をたどることとなり、次第に荒廃していきました。

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長い沈黙の末、西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(えいそん)でした。1236年、35歳の時に初めて西大寺に入られ、その後一時海龍王寺に住されましたが、再び西大寺に戻り、90歳で没するまで50年以上にわたり、荒廃していた西大寺の復興に尽くされました。


また叡尊は、当時の日本仏教の腐敗・堕落した状況を憂い、僧侶の戒律の復興に努めるとともに、貧者、病者などの救済に奔走し、今日で言う社会福祉事業にも力を尽くされたという凄い方なのです。


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1674年に再建された四王堂(しおうどう)は、もともとは孝謙上皇発願時の中心となるお堂で、御本尊として長谷寺式の十一面観音立像が祀られています。かなりの大きさの観音像は平安時代後期の作で、もともとは京都の法性寺におられたそうですが、酷い損傷を受けた像を叡尊が修復されたと伝わっています。現在も四天王像を祀っておられますが、邪鬼の部分のみが創建期のもので、像自体は鎌倉時代と室町時代の後補とのこと。


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1808年頃に再建された本堂には西大寺の御本尊として清凉寺式の釈迦如来立像が祀られています。これは京都・清凉寺の御本尊、いわゆる生身の釈迦像の模刻で、像内にはまるで内臓のように、多数の納入品が納められていました。

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愛染堂の愛染明王像は小像ながら、鎌倉時代に造られた日本の愛染明王像の代表作の1つ。秘仏となっており毎年10月 ~11月頃の特別公開のときだけの開扉となっています。

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また、西大寺と言えば毎年1月、4月、10月に行われる大茶盛(おおちゃもり)が有名です。

これについてもけっこう歴史が古く、かつて叡尊が国家鎮護を祈願して、正月7日から一週間、修正会(しゅしょうえ)という行法を終えた後に、西大寺の鎮守社である八幡宮に茶を奉納し、お下がりの茶を参詣人にふるまったのが起源だそうで、地元では毎年ニュースで取り上げられています。


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直径30センチ以上、重さ6~7キロの大茶碗にたてられたお抹茶を、参拝者が順々に回し飲みするというもので、一味和合(一つの味で和み合うことで信頼関係を築く)という精神からきているそうです。

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とかく個というものを大切にしすぎて、コミュニケーションが不足しがちな今の世の中、こういうことも大切かもしれませんね。


2018年11月 1日
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    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

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