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日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


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奈良の都は山に囲まれた盆地にあるため、古くから山岳信仰が盛んです。

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吉野山や大峰山という険しい山々はもちろんのこと、御蓋山(みかさやま)三輪山、大和三山なども信仰の対象として、長い歴史を育まれてきました。

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しかし、そんな奈良の地になぜか木曽にある御嶽山(おんたけさん)を信仰する御嶽教の本宮があります。長野県木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための木曽大教殿は有名ですが、現在は奈良が本宮という位置付けのようです。


教団自体は明治に開教されましたので、比較的新しい宗教教団のように思われがちですが、そもそも平安時代にはすでに始まっていた御嶽山そのものを信仰する、いわゆる山岳宗教が源流にありますので、まったくの新興宗教というわけではありません。

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なごみの橋という赤い橋を渡って本殿へ

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ご祭神は国常立尊(クニトコタチ)、大己貴命(オオナムチ)、少彦名命(スクナビコナ)の三柱を御嶽大神として祀られています。


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この土地を守っておられる、いわゆる産土神(うぶすながみ)を祀る地主神社をはじめ、赤ちゃんを抱いた十二代権現像(コノハナサクヤ姫らしい)や、なんと!腕が4本ある鎮宅(ちんたく)不動尊という他ではちょっとお目にかからない像…。

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また、こちらには巨大な恵比須さまと大黒さまのお二人など、本当に盛りだくさんです。


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奥の方には磐座があり、御嶽大神である国常立尊、大己貴命、少彦名命と共に、龍神さまなどの像がならんでいます。

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そしてもう一人、広々とした境内をひときわ高い所から見下ろしておられる方が…こちらの方の名は、初代天皇の神武(じんむ)天皇。

古事記・日本書紀の神話の中で、神武天皇は日向(ひむか・現在の宮崎県)の高千穂宮を発ち、にわかに不穏な動きがある大和を目指して東へ進軍されました。(正確には、神武天皇として即位される前のお話ですがあえて神武天皇と記します。)


最初は難波の津より竜田へ抜けようとされましたが、道が険し過ぎたために、生駒(いこま)山から入ろうとしたところ、当時の大和の国を我が物顔で治めていた登美長髄彦(トミノナガスネヒコ)が迎撃。神武軍はいったん難波の津へ退散し、作戦の立て直しを計られます。


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どうやら、敗因は天つ神である自分が太陽神・天照大御神が座す東に向かって進軍したことにあると気づかれました。ならば!と、今度は紀伊半島を回り熊野から北上して大和を目指すべく軍を進められました。

しかし、その後も多くの試練と苦難が待ち受けていましたが、今度は天照大御神のバックアップを受けられたおかげで何とか乗DSC04683 (2).JPGり切ることができました。

そして、後一歩で大和というところで、再び前に立ちはだかる長髄彦軍。リベンジに燃える神武軍でしたが、猛烈に強い長髄彦チームにまたも苦戦を強いられました。


そのとき、金鵄(きんし)と呼ばれる、金色に輝く鳶(とび)が飛来し、神武の持つ弓の上端にとまり、金色のまばゆい光で敵兵の目を眩ましたことで戦意を削いで勝利をもたらしました。


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その後、神武は大和を平定して橿原(かしはら)の地に宮を造り初代天皇として即位されました。


ちなみに奈良県・橿原市の市章は金色の鳶がもデザインされており、雄飛と平和を象徴されていて、古事記の話を現代に伝えて下さってます。


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2019年3月21日

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芳徳寺から再び駐車場の方に坂を降りていきますと、途中にあるY字路がありますので左に曲がります。そこから先はまた急な登り坂になりますが、とりあえず道は舗装されているので歩きやすい道だったのですが…昨年の台風のせいで、ここは現在通行できません(2019年2月末現在)ので一旦下の広い道まで出てから南下して、再度天岩立神社への看板から上ることにします。


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木立の中を鳥のさえずりを聴きながら約10分ほど歩きますと、里を見晴らせる場所にでます。そしてこの先にありますのが、たくさんの巨石をご神体とする天之石立(あめのいわたて)神社です。


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こんな山の中に本当に扉のような岩が、地面に突き刺さるように立てられている姿は圧巻です。周囲に注連縄(しめなわ)を張って、この巨石たちが御神体として祀られています。

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由緒書の、天岩戸にお隠れになった天照大御神を外に出すために手力男命(タヂカラヲノミコト)がこじ開けた岩戸の扉がここまで飛来してきたという話もピッタリすぎます。


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足が取られそうな木の根道をさらに奥へ50mほど先にいきますと、一切の人工的な音のしない自然そのものの空間が広がります。


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そしてそこには大きな亀がうずくまったような巨石があります。長さ 8m、幅7m、高さ2mもある花崗岩で、真ん中が見事なまでに斜め一直線に割れています。これには柳生新陰流を創始した柳生石舟斎が、天狗と試合をして、一刀のもとに切り捨てたところ、天狗は消えて石が割れて残っていたという伝説があり、通称一刀石(いっとうせき)と呼ばれています。


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さて、さんざん歩き回りましたのでお腹がペコペコです。柳生の里に昔からあり、とても風景に馴染んでいる十兵衛食堂さんで看板メニューの「十兵衛うどん」をいただきました。


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一見すると普通のうどんですが、いったいどこが十兵衛うどんなのか?これをご店主に尋ねてみました。

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すりおろした山芋の下にある2つのシイタケが、柳生家のシンボルである二蓋笠(にがいがさ)の家紋を模しているだそうです。(けっこうマニアックでした(汗))このシイタケが効いているおかげか、出汁がとても美味しく素朴なお味がとても懐かしく感じ、大満足できました。


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落雷によって立ち枯れてしまった木が、逆に異彩を放ちながら立ち続けている十兵衛杉をはじめ、柳生の里はまだまだ他にも見どころがたくさん有りますので、どうぞ一日かけてじっくりとお出かけくださいませ。


 

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2019年3月14日

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今回は、柳生町にある臨済宗大徳寺派の芳徳寺(ほうとくじ)を紹介いたします。


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江渡時代の1638年に、大和国・柳生藩主であった柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が、「たくあん漬け」で有名な沢庵宗彭(たくあんそうほう)を開山として創建されました。

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この場所には、かつて柳生城があったそうで、宗矩が父の石舟斎宗厳の菩提を弔うために芳徳寺を建立したと伝わっています。その後、宗矩の四男である列堂義仙(れつどうぎせん)が第一世住持となり、200石が芳徳寺に寺領として分与されたそうです。


大きな火災によって創建時の伽藍はすべて灰となってしまい、その後に一度は再建されたものの、明治時代に入ってからは武士階級の崩壊、廃藩に加えて廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動などのために荒廃。残った山門や梵鐘なども売却されて、明治末期には無住の寺となってしまいました。

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しかし大正11年に、柳生家の末裔である柳生基夫氏が資金を寄贈され、現在の本堂が再建されました。そして柳生に心底惚れこんだ橋本定芳(はしもとさだよし)師が、柳生を終のすみかと決めて大正15年6月に赴任され、お寺の復興に尽力されました。元々有名な画家であった定芳師は、仏画を多く手掛けるようになってから「お経がわからねば本当の仏画は描けぬ」と仏門に入られたという男気のあるお方です。

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本堂にはご本尊の釈迦三尊像、沢庵和尚坐像、但馬守(たじまのかみ)宗矩坐像が安置されています。また、柳生氏に関する資料多数を収蔵しており、資料館が併設されています。


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本堂の裏手の山の中を少し進んでいくと特別な場所があります。

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そこには柳生一族のお墓がたくさん並んでいます。菩提寺なので当たり前なのですが、思いのほかたくさんの墓石があるのに驚かされます。柳生一族の始祖ともいえる家厳(いえよし)、石舟斎で有名な宗厳(むねよし)、大和柳生藩の初代藩主であった宗矩(むねのり)、そして十兵衛と呼ばれた三厳(みつよし)などなど、有名どころがズラリと並んでいるのは壮観です。

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また定芳師は「柳生に道場がないのは、あるべきところに毛がないのと同じで、まことに不自然至極。」とも唱えられ、柳生新陰流の普及にも努められました。そして長年の苦労の末に剣道と座禅の道場として正木坂道場が開設されたのが昭和38年のこと。この名前は三厳(みつよし=十兵衛)が、かつて1万3千人の門弟を錬成したという伝説の正木坂道場にあやかって命名されたそうです。もともと奈良地方裁判所として使用されていた、興福寺別当一乗院の建物を移築したもので、正面入口は京都所司代の玄関から移されたそうです。


柳生の剣は人を殺めるものではなく、活かす剣であるというのが奥義(深い)。日本の古代から受け継がれた精神が、ここでなら学べるのかも知れません。ぜひ一度お越しくださいませ。


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2019年3月 7日
2019年2月28日
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2019年2月 7日
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    奈良特派員
    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

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