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日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


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今回は明日香村にある岡寺を解いたします。

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明日香村の石舞台古墳から北方向に折れて、万葉文化館方面へ道なりに進めば駐車場があります。電車の場合は岡寺駅から東に向かってひたすら真っすぐ山手に歩けば着きますが、お寺の手前の坂がキツイかもしれません。

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岡寺は天武(てんむ)天皇の皇子で、若くして亡くなった草壁皇子(くさかべのみこ)が住んでおられた岡宮(おかのみや)の跡に、奈良時代の高僧・義淵僧正(ぎえんそうじょう)が創建したと伝わっています。


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西国三十三ヶ所観音霊場の七番目札所としても有名です。

この本堂をはじめとする諸堂は江戸時代以降の再建ではありますが、御本尊の如意輪(にょいりん)観音菩薩は奈良時代のもの。塑像(そぞう)という技法で作られ、木で作った骨組みに、漆などを混ぜた粘土を盛り上げた後からお顔や飾りの彫刻をほどこしていくというものです。なんとっ!座ったままで像高が4.8mもあり、国内の塑像の中では断トツの大きさを誇っておられます。


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如意輪観音における三摩耶形 (さんまやぎょう=それぞれの仏を表わすシンボルのこと)は如意宝珠と紅蓮華となっていますし、像容としては一面六臂(ろっぴ=6本の腕)で片膝立てて頬づえついていて、なんとも艶めかしい表情の像が一般的ですので、正直この像を如意輪観音像と呼ぶには少々疑問も残りますが、これには長い歴史という大人の事情があるので、あえて詮索をするのは無粋というものです(≧▽≦)

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岡寺は、正式には龍蓋寺(りゅうがいじ)といいます。これは、かつて寺の近くで農地を荒らしまくっていた悪龍を、義淵僧正(ぎえんそうじょう)が法力によってねじ伏せ、小池に封じ込めて大きな石で蓋(ふた)をしたという伝説が由来となっています。


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このエピソードが元となって、厄介者をお祓いしてくれるという厄除信仰に発展し、日本では最古といわれる厄除け祈願のお寺となったそうです。ちなみに本堂の前にその池があるので覗いてみましたが、今も蓋がしっかりされていますので、龍も静かなものでした。

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義淵はかなりの高僧なのですが、その出生についてはあまり明らかにされていません。ただ、幼少のころに天武天皇の皇子、草壁の皇子とともに養育され、皇太子であった草壁の皇子が亡くなった後に、住居のあったこの岡宮にお寺を建てることが許されたとなれば、相当高貴な血筋であることは誰の目からも明らかですよね。境内には義淵僧正の供養塔が建てられています。


そして何といっても、奈良時代の高僧といえば、東大寺創建に関わった行基(ぎょうき)、初代別当の良弁(ろうべん)、玄昉(げんぼう)というビッグネームが有名なのですが、じつは皆さん義淵僧正の門下生だというのですから、きっと「義淵ハンパないって!」と言われていたことでしょう。



2018年9月20日

前回からのつづき…


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本堂の階段を下りたすぐ横に霊宝館がありますが、有料ということもあってスルーされる方も多いです。しかし実はここに凄いお宝が伝わっているのです。


それこそが国宝・紙本著色信貴山縁起絵巻(しほんちゃくしょくしぎさんえんぎえまき)です。霊宝館の内部は撮影が禁止されておりますのでこちらを参考にしてください。



これは平安時代後期に描かれたもので、朝護孫子寺の中興の開山(つまり平安時代にこのお寺を本格的に造り、その正式な最初の住職ということ)であった命蓮(みょうれん)上人にまつわる説話が描かれている絵巻物です。

山崎長者の巻(飛倉の巻)縁起加持(えんぎかじ)の巻尼公(あまぎみ)の巻の三巻からなっており、人物の躍動感や表情が軽妙かつ的確で、風景描写にすぐれていることから四大国宝絵巻の一つに数えられているほど貴重な存在なのです。

ちなみに残りの三つは「源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)」「鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)」「伴大納言絵詞(とものだいなごんえことば)」というそうそうたるメンバーで、あまり歴史に興味がない方でも聞いたことのある名前だと思います。

しかし私が「凄いお宝」と言いますのは、日本四大とか作者が誰だといったような事ではありません。

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尼公の巻を見ていただきますと大きな仏さまが描かれているのが見てとれます。舞台は奈良ですので大仏といえば皆さまよくご存じ東大寺の毘盧舎那仏ということになります。

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この巻は命蓮上人の姉の尼君が主人公です。若い時に奈良で僧になると家を出たまま行方知れずの弟を探すために旅に出たのですが、なかなか会えずに疲れ果てておられましたが、やっとのことでたどり着いたところが東大寺でした。そして大仏様のお告げによって信貴山へ向かい、そして無事に弟の命蓮との再会を果たすという感動物語です。


東大寺は奈良時代の572年に創建されましたが、平安時代末期の1181年に平重衡(たいらのしげひら)の指揮によって焼き討ちにあって焼失してしまいました、その後鎌倉時代に再建されたものの、再び戦国時代に兵火に焼かれて現在のものは江戸時代に再再建されたものです。


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しかしこの絵巻が描かれたのは平安時代の焼き討ちより前ということですから、この絵の中に描かれた大仏さまの姿は天平時代に造られたオリジナル…つまりこの絵巻は、1260年前の様子を現代に伝える貴重な資料であり、現存する唯一の証拠となっています。

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他にも尼君が奈良に入られたことを暗示させるように鹿の群れが描かれていたり、旅の途中で出てくるの商家や農家、庶民の風俗などが細かく描かれているので、平安時代後期の庶民の生活が伺えることから民俗的資料としての価値も高いものなのです。霊宝館で展示されているものは精巧なレプリカで、本物は奈良国立博物館にて大切に保管されています。しかしレプリカと云えども一見の価値は十分にあります。

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霊宝館から山上へと続く階段をひたすら登っていきますと、最も高い場所に位置する空鉢護法堂(そらばちごほうどう)があります。

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これもまた信貴山縁起絵巻の中の「山崎長者の巻」に由来するもので、お堂の裏には石造りの鉢が祀られています。

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さすがにここまで上がってきますと、本堂からとはまた一味違うロケーションも楽しめます。


朝護孫子寺だけでも十分一日かかってしまうほどのスケールの大きなお寺ですので、参拝に来られるなら時間に余裕をみてお越しください。


2018年9月13日

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朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は奈良と大阪の県境の生駒山に連なる信貴山(しぎさん)にあります。


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山の上の方に本堂が建てられ、御本尊が毘沙門天(びしゃもんてん)とくれば、どことなく京都の鞍馬寺と似ている感じもいたします。

信貴山は約1400年前に仏教推進派であった蘇我馬子(そがのうまこ)に加勢した聖徳太子が、排仏派であった物部守屋(もののべのもりや)の討伐を祈願された場所で、寅の年・寅の日・寅の刻に虎を引き連れた毘沙門天が出現され、戦勝の秘法を授けられたので見事に勝利されたと伝わっています。以来、この山を「信ずべき貴ぶべき山」と名付けられ、毘沙門天の尊像を守護神として祀るようになったのが朝護孫子寺創建の由来となっています。


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もう若い世代には分からないかもしれませんが、第二次世界大戦のときの真珠湾攻撃で、日本軍の奇襲攻撃が大成功した事を知らせる電文が「トラ・トラ・トラ」だったのは有名な話。もちろんこの聖徳太子のエピソードからきていることは言うまでもありません。

当然これは日本軍の暗号で、それを傍受していたアメリカ人は意味はさっぱり分からず「虎のように攻めてきた!」と本国に連絡したという話も残されています。そして1970年に公開された『トラ・トラ・トラ!』というタイトルが付けられた戦争映画は、なんとアメリカと日本の合同で制作されています。そうはいってもアメリカ主導で制作されている映画ですので、当然ながら戦勝国側から日本をコキおろすような内容かと思いきや、かなり中立な視点で真珠湾攻撃を描いてあるので、正直驚きました。もちろん所詮は映画ですから実際の史実とは言えませんが一度は観ていただくのも有りだと思います。


話が逸れてしまいましたが、真珠湾攻撃は今から77年前の出来事です。勝利の暗号にトラ・トラ・トラを使うくらいなのですから当時の人達には1400年前の、毘沙門天の話が当たり前のように伝わっていたということです。ところが今はもう日本国民のほとんどが知らないのではないでしょうか。このまま放置したのでは日本の正しい姿はどんどん消えてしまいますので、これを読んだ方はこの話を子々孫々(おおげさ)にまで伝えて欲しいものです。

こちらのお寺は山全体がまるで何かのテーマパークのように伽藍が立ち並んでいて、とても全部を語りつくせませんが大事な所だけを解説したいと思います。


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まずは山門をくぐりますと、この巨大な虎(正式には世界一福寅)がお出迎え。

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とりあえず本堂を目指しますが、その途中にも多くの伽藍が立ち並んでいますので、一つ一つ丁寧にご挨拶をしていきます。

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ようやく本堂へ。京都の清水寺や奈良の長谷寺と同じように崖に舞台が張り出すような、いわゆる舞台造りと呼ばれる造形で、現在のものは1958年の再建です。さすがに山の上なので見晴らしが良く、この舞台からは奈良盆地が大きく見渡せます。

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ここでは本堂の扁額(へんがく)に注目して欲しいのですが、毘沙門天王と書かれた左右に居るのは何かお分かりでしょうか?そう、百足(ムカデ)なんです。

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そしてこちらにもまたムカデ(汗)。なぜ虫の中でもあまり人気が無さそうな百足がお寺の大切な本堂に使われているのでしょうか?


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お寺の説明によりますと、御本尊の毘沙門(ビシャモン)という名は本来古代インドのサンスクリット語のヴァイシュラヴァナの音訳です。直訳すると「よく聞く神の子」であり、日本に伝わった仏教では内陣の四方を守護する四天王の中で北を守護する多聞天(たもんてん)として知られていますが…本来は夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)といった悪鬼たちを支配し、鉱山に眠る金銀などを発掘させ、財宝を守っているヒンドゥーの神様なのです。



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(これはイメージです)


また金山の坑道を「ムカデ穴」と呼んだり、昔からお金のことを「お足」といわれたことなどから、大勢のお客さんがお足(お金)を運ぶとされて、ムカデを使者とする毘沙門天を商売繁盛の神様として信仰されてきたそうです。運動会の競技にある二人三脚は走るのがとても難しいが、ムカデは百の足並をそろえて見事に走るということから、足の引っ張り合いをせず皆の力を合わせて事を成せば、大きな力を生むという教えを伝えているそうです。


また、日本では七福神のお一人として、金運如意、心願成就の福の神として信仰されていたりと、本当に一人で何役もこなす半端ない存在、それが毘沙門天なのです。そして朝護孫子寺は奈良の中でも屈指のパワースポットの一つだと自信をもってお伝えできるお寺です。


次回へ続きます。


2018年9月 6日
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2018年8月16日
2018年8月 6日
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    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

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