テレザ ケソビア の政治的要素をはらんだコンサート

公開日 : 2011年09月30日
最終更新 :

テレザ・ケソヴィヤ―

ドゥブロヴニクで生まれたシャンソン歌手。

イタリアのサン=ヴァンサンで優勝を果たしたのち、ユーゴスラビアから

フランスに移り、オランピア劇場で歌った唯一のクロアチア人歌手となった。

しかし1991年のクロアチア紛争のとき、彼女の家は破壊された。

(引用:Wikipedia日本語版 参考)

以上はウィキペディアから抜粋したものですが、昨日私の所属するモンテネグロ響がテレザケソビアを招いてコンサートをしました。テレザは、ウィキペディアに書いてあったとおり、ドブロブニクの出身で紛争の際は彼女の家もセルビア、モンテネグロ軍(旧ユーゴの時代)によって爆破されてしまいました。彼女はそれ以来、セルビア モンテネグロでは絶対に歌わない!!という信念を掲げてきました。でも、近年になって かたくなな彼女の気持ちは次第に変わりセルビア、ベオグラードにおいてもコンサートをし、昨日はモンテネグロの首都ポドゴリツアのロイヤル劇場でコンサートはおこなわれました。大統領、大臣たちもこぞってコンサートにきていました。旧ユーゴスラビア時代の花形歌手で多くのファンを持っていたのにも関わらず紛争によって複雑な関係になってしまったテレザと、観衆は各国の独立後やっと元の関係を取り戻しつつあります。

昨日のコンサートで感じた事は、コンサートのみならずまだまだ、複雑な人々の感情がこの地、旧ユーゴスラビアに眠っている、という感じです。

コンサート中、オーケストラの同僚たちの後ろ姿や横顔をみていたら泣きそうになりました。日本人には理解できない民族や宗教の違いで争う感情を過去にもちながら(少し、想像してみてください。自分たちの祖父や、祖母が民族がちがうから、宗教が違うから、というだけで殺したり、殺されたり、。)、やっと平和なモンテネグロが作られていっている感じがしました。

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