危うく深夜越境 陸路国境越えの思い出'10(前編)

公開日 : 2015年07月29日
最終更新 :

Assalom alaykum! みなさんこんにちは。タシケント特派員の齋藤です。

 旅好きの方には、島国日本から一度海外に出ると、当初の目的地だけでなく、もっとほかの国も見てみたくなる方も多いかと思います。バックパッカーであれば、また、行先がウズベキスタンのような「大陸」であれば、なおさらでしょう。特派員も前回の留学のときには、タシケントから陸路でカザフスタンからキルギスへと旅行したほか、タシケントに就航しているイラン航空を利用してテヘランへ飛び、そこからトルコ・ギリシャへと旅行しました。

 今回は、2010年11月に、ウズベキスタンからカザフスタン、キルギスへと、陸続きで旅行した時のエピソードを紹介し、後に続く旅行者の、中央アジア旅行の参考にしていただければと思います。併せて、当時の中央アジアの様子などをご紹介したいと思います。

 ウズベキスタンを出発したのは、2010年11月13日。メトロ駅近くのタクシー乗り場から、カザフスタン国境へ向かう乗合タクシーに乗り込みました。本当は朝に出る予定だったのが寝坊し、さらにのんびりしているうちに夕方となってしまい、国境事務所に着くころにはだいぶ暗くなっていました。ゲートの手前にある税関申告書の記入台には、もう明かりが点いていました。この記入台、タシケント国際空港にあるものと、書類の様式が同じなのは当たり前としても、テーブルの仕様まで同じでした。

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 国境事務所には、物流トラックが列をなして停まっていました。出国手続き自体にはこれと言って問題はなく、ごく順調に通過できました。飛行機搭乗のためのセキュリティーチェックがない分、空港よりもスムーズな印象すら受けました。

 問題はその後。ウズベキスタンの国境事務所と、カザフスタンの国境事務所との間の、ノーマンズランド(緩衝地帯)がやたらと広くとってあり、そこをカザフスタン側まで歩いていかなければならなかったのです。途中、日本だったら間違いなく一級河川に分類されるような広い川に架かった橋を渡りました。カザフスタンの郵便局から日本に送ろうとしていた本(ウズベキスタンの郵便局から国外に本を送るには、障害が多い)が重いうえに、薄暗かったため、ずいぶん心細い思いをしました。ようやく遠くにカザフスタンの国境事務所の明かりをみとめたときは、ノーマンズランドの寂しい風景もあって、自宅の明かりを見つけたような心底ほっとした心持になりました。

 カザフスタンの国境事務所に入り、空港にあるようなパスポートコントロールのボックスに、パスポートを差し出しながら、中の兵士の顔を覗き込みました。

「...朝青竜??」

 ウズベク人と比べると、モンゴル人のような、ずいぶんアジアに近いというか、中東色が薄い顔立ちをしています。この時、「ああ、(ウズベキスタンと同じくロシア語が通じるとはいえ)違う国に来たんだなあ」、と実感したのでした。

 背が高い日本人が珍しいのか(特派員は身長がほぼ2メートルあります)、ロシア風の毛皮の軍帽をかぶった朝青竜関は、わざわざボックスから出てきて、特派員の隣に立って監視カメラの前で背比べをします。本来なら緊張感がある越境手続きが、なんだか和やかなものになったような気が、この時はしたものでした。

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 入国カード(写真は持ち帰ったカードを、最近撮影しました)に必要事項を記入し、手続きをすべて終えて、国境事務所の外に出ます。その瞬間、

「タクシー!?×おじさんばかり数十人」

 まさに「ワッと」タクシーの客引きに取り囲まれ、「ミスター、タクシー?」の大合唱。どうやら、カザフスタンに入ったらまず乗ろうと考えていた、カザフスタン南部の都市シムケント行の、その日のバスはもう終わってしまったようでした。となれば、この運転手の群れの誰かを選んで行くより仕方がありません。

「ダ シムケンタ、スコーリカ ストーイト?(シムケントまでいくら?)」

 こいつはロシア語を解するとわかった途端、今度は

「ペデシャット ドールラル!(50ドル!)×数十人」

 もちろんこちらは値切ります。

「ソーロク!(40!)クトー ィエーデェット パ ソーロク!?(40で行く人はいないか!?)」

 しかし不思議なことに、これだけ大勢で一人の客を争うというのに価格競争が起こらず、誰も50から値下げしようとしません。それでも40で粘っていると、群れの奥のほうでおとなしくしていたおじさんが、ぼそっと

「ソーロク」

とつぶやいたのです。「よっしゃ」という日本語が思わず出て、そっちに近づこうとすると、

「何言ってんだこの野郎―!!!!!!×真っ赤に怒ったおじさん数十人」

と、周囲の客引きがそのおじさんにどえらい勢いでつかみかかります。特に激しく詰め寄っていたのは、白髪頭の、民族帽をかぶった、それだけ見れば好々爺に見えるおじいさんでした。

 どうやら仲間でカルテルを組んでいたようです。「40」といったおじさんは、同業者に囲まれているにも関わらず、勇敢にもそのカルテルを破ろうとしたわけです。しかし彼は、長老格らしいそのおじいさんに「ちょっとお前、こっち来い!」と、首根っこつかまれてどこかに連れていかれました。

 仕方がないので、適当な一人を選んで、ついでにウズベキスタンの通貨スムをカザフスタンの通貨のテンゲに両替してもらって(後で計算してみたところ、適正レートとは到底言えないものの、ぼったくりというほどでもないレートでした)、明かりが全く見えない飢餓草原(このあたりの草原は本当にそう呼ばれています)へと延びる夜道を、シムケントへ向けて出発しました。

 以降は次回!

 では、Ko'rshamiz! (またお会いしましょう!)

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