飢餓草原と軍用輸送機 陸路国境越えの思い出'10(後編)

公開日 : 2015年07月31日
最終更新 :

(前回までのあらすじ:2010年11月、ウズベキスタンからカザフスタン、キルギスと、陸路で抜ける旅に出た特派員は、カザフスタンへ入国と同時に紆余曲折を経て捕まえた、もとい捕まった白タクの運転手と、カザフスタン南部の主要都市シムケントへ向けて、真っ暗な飢餓草原をドライブしていました)

 タクシーで出発してすぐに、「ああ、明るいうちに出発すればよかった」と、心底後悔しました。何しろ国境からシムケントへ向かう道路は、街灯はおろか、民家の灯りすら360度見えない、真っ暗な夜道なのです。見えるのは真っ黒な大地と、信じられないくらい無数の星が瞬く星空、そしてその二つをくっきりと隔てる、遥か彼方の地平線だけ。そこをこの運転手は、どこへ向かって運転しているのか...?

 しかも不安感をさらにあおったのが、出発して10分くらいたった頃、真っ暗な道端に、急に男がにゅっとヘッドライトに照らされて現れ、運転手がその男と交替したことです。今になって思えば要するに、国境事務所での客引きと運転手とで役割分担をしていただけだと思うのですが、その時は、「こいつらグルなのか?このまま身ぐるみはがされて、この真っ暗な草原のどこかに遺棄されるのか?そうなれば、死体も見つからないのでは?」、と心底不安になりました。

 幸い、特派員は飢餓草原の肥やしとなることなく、タクシーは無事、街の灯りに囲まれた、シムケント駅前に到着しました。やれやれと安心していると、運転手が、

「俺、ずいぶん長く運転してきたよね?悪いけど、やっぱり50ドルじゃちょっと...」

と言い出します。すわ、またもや値段交渉トラブルか、と身構えると、

「55ドルでどうだろう?」と、ずいぶん控えめな値段提示。確かに、かれこれ3時間近く、100キロ近い速度で飛ばしてきたわけで、こちらとしても正直、50ドルというのは気が引けていたのも事実でした。手元にちょうど5ドル札の持ち合わせもあり、もめることなく、代金を支払いました。

 この時点で、時刻はもう10時を過ぎていました。目的地のアルマトィ行の夜行はもうないだろうと考え、ホテルを探そうかとも思ったのですが、だめもとでシムケント駅二階のカッサ(窓口)に行ってみました。「アルマトィ行の切符は...」と訊くと、ロシア系のおばさんがあわただしくチケットを発券し、「ヴィストラ(早く)!」とせかします。どうやら今にもアルマトィ行の電車が出発するところだそうで、慌ててホームに駆け下りると、いかにもソ連風の、いかめしい車両が、湯気を立てて出発しようとしていました。切符に記載されたワゴン(車両)番号を確認し、車掌に提示して飛び乗ると、5分もしないうちに列車はアルマトィへ向けて発車しました。

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 ちなみに、シムケントからアルマトィまでの電車賃は、国境からシムケントまでのタクシー代よりもはるかに安かったと思います。

 その後の、アルマトィから、キルギスの首都・ビシュケクへの入国に関しては、ほとんど問題らしい問題はありませんでした。

 アルマトィの長距離バスターミナルを出発したビシュケク行のバスは、とても国境を超えるバスとは思えないほど小ぶりなミニバスでしたが(バスターミナルに停車している、シムケント行などの国内線の長距離バスのほうが、むしろ大きくて立派でした)、日本人はビザ不要ということもあり、キルギス入国に際してはなぜか特派員だけ別室に呼ばれてパスポートチェックを受けたくらいで、スムーズに入国できました。ビシュケクはアルマトィから本当に近く、4時間程度で到着。途中、乗客全員の出入国手続きがあり、乗ってきたバス自体についての税関手続きも必要であったため、実際の移動時間はもっと短かったと思います。

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 当時のキルギスは、2010年4月に反政府暴動をきっかけとした政変が起こってからまだ半年程度しかたっておらず、ビシュケク市内の大統領府には、暴動の犠牲者のための献花台が設置されてあったり、政治的スローガンが書かれた垂れ幕がフェンスにかけてあったりしました。しかし、それを除けば、市内は全く平穏であるように見えました。

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 キルギスからウズベキスタンへの帰路も陸路を利用したかったのですが、そのためにはキルギス南部を通過しなければなりません。しかし当時、キルギス南部の国境地帯では、政変の後、民族間衝突が発生しており、多数の死者が出ていました。通過するにはリスクが高いと判断し、ビシュケクからタシケントへは空路を利用することにしました。

ビシュケクの国際空港は、別名「マナス空港」と言います。キルギスの英雄叙事詩のヒーローの名前を冠したこの空港は当時、多国籍軍のアフガニスタンでの活動において、重要な輸送拠点となっており、多数の西側各国軍の輸送機が滑走路に駐機していました。

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 キルギスを出国したのが、2010年11月18日。今でもはっきり覚えているのが、搭乗待合ホールのテレビで、チャップリンの「モダンタイムズ」が流れていたことです。このときマナス空港の出発ロビーで「モダンタイムズ」が流れていたのは偶然かと思うのですが、暗い灰色の輸送機が並ぶ光景への、ささやかな皮肉のようにも思えたのでした。

※その後も特派員は何度かビシュケクを訪れています。最近のビシュケク訪問は2014年3月、学術会議参加のために訪れたときです。多国籍軍のアフガニスタン撤退が進んでいたためか、2010年に見た時よりは、輸送機の数が減っていたような印象を受けました。

では、Ko'rshamiz! (またお会いしましょう!)

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