知性派にぴったりなウィーン観光の穴場スポット、軍事史博物館【2】
前回の記事ではオスマントルコ軍によるウィーン攻撃時ゆかりの区画を紹介しましたが、本日はその次の時代にスポットを当てます。
2階の古い時代(17~18世紀)の遺品を見学し終わると、階下の第一次世界大戦時代の展示へと舞台が移ります。
こちらが軍事史博物館のハイライト、"サラエボ事件"のコーナー。
オーストリアの皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公と妃ゾフィーが暗殺された際に乗車していた車(現物)です。
大公の肖像画と暗殺時に着用していた軍服(現物)です。
現在はきれいにクリーニング済みであるようですが、事件当時は着衣が血にまみれていたと聞きますので、あまりじろじろと観察でいずじまいでした・・・。
お次は同大戦時の空中戦および対空防御のコーナー。
横に立っている見学者と比べていただくとその大きさのほどが分かるかと思いますが、
すさまじい威圧感を放つ大砲です。
再現された塹壕の模型。
ミサイルの痛々しい爪痕が見て取れます。
当時の飛行機と双発型の対空レーダー(右下)。
このレーダーで敵機襲来を把握したと言われています。
次は建物の反対翌に移動し、第二次世界大戦のコーナーへと移動。
第一次世界大戦のあとオーストリア・ハンガリー二重帝国は瓦解し、第二次世界大戦時のオーストリアはヒトラー率いるナチス・ドイツに併合されていました。
こちらは、帝国時代と併合時代の間に存在したオーストリア第一共和国時代の首相ドールフスのデスマスク。オーストリアが独立を維持するために腐心していた人物のようです。
この他にもヒトラーの胸像やドイツ軍の戦車等、まだまだ紹介したいものがあったのですが、残念ながら閉館時間が迫っており、ゆっくり写真を撮れませんでした...。実をいえば、美味しいアイスクリームのお団子を買いに行く途中に、たまたま通りがかってふらりと入館しただけなんですよね。次回はもう少し計画的に訪問したいと思います(笑)。
日本にいると近代の軍事史に触れる機会が限られていますが、こちらオーストリアでは過去の戦争時のドキュメンタリー番組等が頻繁にテレビ放映されているなど、常に身近な話題となっています。オーストリアと言うと、ハプスブルク時代の栄華にフォーカスされがちですが、そこから現代までどのような道筋を辿ったのか知るのも、またおもしろいと思います。
博物館の建物ひとつとっても見応え十分ですので、お時間があればぜひどうぞ!
筆者
オーストリア特派員
ライジンガー真樹
オーストリアっておもしろそうな国だな、ウィーンって見どころのある街だな、と読者の皆さまに思っていただけるような記事を配信していければと思います!
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