サイソムブーンの旅(1)扉は開かれた!
ラオス全土はビエンチャン都を含め17県で構成されていましたが、2013年12月31日に、ビエンチャン県の北、シエンクワン県の南、そしてボリカムサイ県の西の部分を切り取って、18番目の行政区としてサイソムブーン県が誕生しました。
私は雨季真っ最中の7月初旬にこの地域に始めて足を踏み入れました。4回に分けてレポートします。
サイソンブーン県の県都アヌウォーン市は、首都ビエンチャンの北、直線距離にしてわずか100km、そのまた北50kmにはシエンクワン県ポンサワーン市があります。にもかかわらず、ラオス軍とモン族との小競り合いが続き軍の管理下にあったため、この地域は最近までツーリストの入域は制限されていました。
1760~70年代に当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディーは、推し進めたベトナム戦争で、南ベトナムとラオス王国派を支援するため、この山中に米軍の秘密基地をつくり、山岳民族のモンを大量に傭兵として雇い、北ベトナムへの空爆を続けました。
最終的には米軍が敗退したので、この地には多くのモン族が取り残され、現政権のモン族掃討作戦に対してゲリラ戦で抵抗していたのです。詳しくは「ラオスは戦場だった」(めこん出版)に詳しく出ています。
その混乱もようやく一段落したのを機会に、軍の入域制限が緩和され、新しい県の誕生となったのです。産業開発が遅れていたこの地域はラオスでも最貧地域でしたが、露天掘りで金と銅を産出するプービア鉱山(写真)と水力発電が期待できるナムグムダムの開発で、注目を浴びるようになり、幹線道路が整備され、国内外からの開発投資が急ピッチで進んでいます。
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