海外旅行・観光情報の「地球の歩き方」TOP > 特派員ブログ > 日本  > 日本国内/和歌山特派員ブログ

日本国内/和歌山特派員ブログ 麻巳子

日本国内・和歌山特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


メール プリント もっと見る

第一次世界大戦後、分割占領された祖国解放に立ち上がったムスタファ・ケマル・アタテュルクは、指導者としてこの戦争を勝利に導いたトルコ国民の偉大な英雄である。(説明板より)


DSCN2502am.jpg


エルトゥールル通り


DSCN1642am.jpg


トルコ軍艦遭難慰霊碑より「エルトゥールル通り」を歩いてきました。
異国情緒を感じさせる通りの名前です。


DSCN1767am.jpg


画像は昔のものですが、駐車場から続くこの遊歩道をエルトゥールル通りと言います。
道中にはトルコ雑貨のお店やトルコアイスの販売もありますよ。


DSCN2489.JPG


遊歩道沿いの大きな説明板のある辺りから灯台のエリアという雰囲気になります。
緩やかな坂を歩いて行くと目の前に広がる空と広場。
自然があって広々としているので、大島の気候もあってかのんびり、ゆったりとした気分になります。


DSCN2495.JPG


真っすぐな道の向こうに樫野崎灯台が見えています。
灯台はもうすぐ。


ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像


DSCN2494.JPG


灯台の手前の広場左に大きな銅像が建っています。
こちらの銅像がトルコ建国の父といわれているムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像です。


なぜこんな所に騎馬像が?
トルコつながりで?
と思われる方もいられるかもしれませんが、
トルコ共和国の初代大統領であり、エルトゥールル号殉難将士の墓域の大改修と新しい慰霊碑の建立を決定した方なのです。


DSCN6812.JPG


詳しい経緯は省きますが、もともとこちらの騎馬像は新潟へトルコ政府から寄贈された像でした。
エルトゥールル号の遭難120年に当る年にさらなる両国の友好と発展を祈って駐日トルコ共和国大使館より串本に寄贈・移設されました。
『本像の串本町への寄贈・設置にあたり支援をいただいた駐日トルコ共和国大使館、日本財団をはじめとする多くの方々深甚の感謝を捧げるものである。』と説明板には書かれており、多くの方々のおかげでこの地に移設されて本当に良かったなと思います。


また夫のブログ繋がりで新潟にお住まいの方も、こちらに移設されて喜ばれている風でした。


手綱をひき、右手を指すムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像は、今はこの樫野の地に立派な姿で建っています。


*トルコとの友好の証 「トルコ記念館」の記事はこちら
*トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難慰霊碑の記事はこちら


2018年4月21日

明治23年のトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故後、生存者の救護の一方で遺体の捜索も行われました。
遺体はハイダール士官立会いのもと、事故現場の岩礁「船強羅」を望む樫野崎の丘に埋葬されたと伝えられています。


ASCN2476.jpg


トルコ軍艦遭難慰霊碑へ


DSCN2465.JPG


樫野崎灯台へと向かう遊歩道を歩いて行くと、トルコ記念館から200mの距離にトルコ軍艦遭慰霊碑が建立されています。
大きな慰霊碑が見えてくるのですぐわかります。
ここを通るときはいつも手を合わさずにはいられません。
そしていつ来てもきれいにされています。


DSCN1609am.jpg


事故の翌年の明治24年2月に殉難将士の共同墓地が整備され、3月には墓地に慰霊碑と和歌山県による土国軍艦遭難之碑が建立されたそうです。


DSCN2470.JPG


昭和4年(1929)6月3日、昭和天皇が紀南地方(串本の南・白浜を訪問された後、樫野崎を訪問されています)に行幸の際に樫野崎に立ち寄られ慰霊碑を参詣されました。
この話を聞いたトルコ共和国のケマル・アタチュルク初代大統領が新しい慰霊碑を建てることを決定し、委託を受けた和歌山県が慰霊碑を改修してこのような立派な慰霊碑が完成しました。
昭和12年(1937)6月3日に除幕式が行われています。


慰霊碑では、駐日トルコ共和国大使館との共催で5年ごとに追悼式典が開催されています。
第二次世界大戦中には一時的に中断されたそうですが、明治から途切れることなく交流は受け継がれておりトルコとの友好は続いています。


DSCN2478.JPG


実際に見ると遠くて分かりにくいのですが、慰霊碑正面の題字です。
そう、これは「土国軍艦遭難之碑」で、明治24年の最初の時に建立された一基をそのままはめ込まれているのです。


DSCN2418am.jpg


エルトゥールル号遭難事故では特派大使海軍将校オスマン・パシャ以下580余名の命が奪われました。
発見された遺体は埋葬されましたが、オスマン・パシャをはじめ、300名以上の将卒の遺体はついに発見されることなく眠り続けているそうです。


*トルコとの友好の証 「トルコ記念館」の記事は こちら


<トルコ軍艦遭難慰霊碑>


・所在地 和歌山県東牟婁郡串本町樫野
・アクセス JR串本駅より串本コミュニティバス大島・出雲線で約44分、樫野崎灯台口下車 徒歩約5分
・駐車場 樫野駐車場 84台(無料)


2018年4月20日

明治23年(1890)、トルコ軍艦エルトゥールル号に乗ったオスマントルコ帝国の使節団が来日し、明治天皇に拝謁(はいえつ)した後の帰国途中のできごとでした。


9月16日夜、暴風雨のため紀伊大島樫野崎沖でエルトゥールル号は座礁し沈没。
串本大島の住人が必至の救助にあたり、69名を救出、587名が亡くなりました。
この悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じてトルコ国との交流がはじまります。
トルコ記念館ではエルトゥールル号の遺品や写真、資料などを展示公開しています。


DSCN2416.JPG


エルトゥールル号遭難事故


DSCN2266.JPG


串本町大島に建つトルコ記念館へやってきました!


樫野崎灯台口バス停や樫野崎駐車場(無料)から先は車は通行禁止のため歩きになります。
駐車場から樫野崎灯台まで広い遊歩道が続き、その途中に建つトルコ記念館は駐車場から150mの距離です。


DSCN2280.JPG


昭和49年(1974)に、トルコ共和国との友好と国際的な友愛の精神を広く伝えることを目的としてトルコ記念館が建てられてました。
平成27年(2015)6月4日にリニューアルオープンをしています。
以前と外観は変わらないように思いますが、館内はすっかりイメージが変わっています。
リニューアル前は白を基調とした館内でしたが、リニューアル後は黒といった雰囲気で、展示コーナーも広がりより詳しい紹介となっています。


DSCN2454.JPG


入館すると右側に受付があり入館料を支払います。
前方には乗船水平の胸像が展示されています。


DSCN2452am.jpg


胸像の横に並ぶプレートには、エルトゥールル号遭難事故で命を落とされたオスマン帝国海軍の名前が記されています。


DSCN2285am.jpg


そこから続く奥のコーナーではエルトゥールル号遭難事故の背景や事件の記録などが紹介されています。


DSCN2287am.jpg


遺族からの寄贈品もあり、救助活動を行った事故当時の地元警察官・川島犬楠巡査が、助けられた乗組員から感謝の気持ちとして手渡された刀剣なども展示されていました。
当時の写真や貴重な資料なども展示されていて、実際に見るとリアルに感じることができました。


DSCN2450am.jpg


事故発生後、真っ暗な嵐の中、大島の住民は総出で運ばれてきた人々の救助と介抱にあたり、着物や布団の提供はもちろん、台風で漁にも出られず蓄えもわずかだったにもかかわらず、非常食やお正月用の鶏まで提供したそうです。
料理はどうしていたのかを昔お聞きしたことがあるのですが、洋食調理の心得があった村民がいてコックを務めたそうです。
その当時にこの島に洋食料理ができる人がいたなんて意外で驚きました。
大島の方々の救助活動やその後の国の対応など、ここでは詳しく知ることができます。


DSCN2299.JPG


いくつかの小窓から遭難現場を見ることができます。


DSCN2305.JPG


矢印が指す場所が遭難現場です。


DSCN2306.JPG


「船甲羅(ふなごうら)」と呼ばれ、昔から海の難所と知られているそうです。


DSCN2311.JPG


小窓にある船のシルエットと船甲羅を合わせて撮影するのが意外と難しかったのですが、こんな風に船強羅にぶつかったのですね。


日本とトルコの結びつきのコーナー


DSCN2313.JPG


こちらのコーナーではトルコと日本の絆が紹介されています。
昭和60年(1985)3月17日、イラン・イラク戦争下、イラクのフセイン大統領が
「今から48時間経過後、イラン領空の全航空機を攻撃対象にする」
と世界に向かって発信しました。
各国民が次々と避難していく中、テヘランには飛行機に乗れない200人以上の日本人が取り残されました。


DSCN2317.JPG


3月19日のタイムリミット直前、緊迫した状況下で日本人全員を救出してくれたのがトルコの航空機でした。
なぜトルコの航空機なのか私も不思議に思いましたが、その理由はトルコの人々がエルトゥールル号でのことを忘れてはいなかったからです。
トルコの方々が助けてくださってあれからもう30年以上経っていますが、救助活動を通じてトルコとの友情は深まっています。


エルトゥールル号引上げ調査からわかったこと


DSCN2362.JPG


こちらは発掘調査によりエルトゥールル号の遺品などが展示されているコーナーです。
リニューアル前にも展示室だった場所です。


DSCN2355am.jpg


遺品の他にも映像での紹介やトルコとの友情の絆、日本とトルコの友好の架け橋となった野田正太郎さんと山田寅次郎さんを写真や資料で紹介しています。
野田正太郎さんはエルトゥールル号遭難事故の後、生存者をトルコへ送還した軍艦「比叡」「金剛」に同乗した記者で、後にトルコに駐在、山田寅次郎さんは全国で講演を行い新聞記事に募金記事を載せ寄付金を集め、その寄付金をトルコへ届けた方です。


DSCN2326am.jpg


軍服を着たマネキンが展示されています。


DSCN2336am.jpg


こちらに120年もの時を経て引き上げられたエルトゥールル号の遺品が展示されています。


DSCN2345am.jpg


こちらは高さ4.7cmで、表面に小さなくぼみのある8角形のガラスの小瓶です。
海底の谷間から見つかったそうで、ほぼ完全な形なのできれいですね。


DSCN2380.JPG


そしてぜひ見たいのがこちらの調理鍋です。


DSCN2391.JPG


蓋つきの大きな銅製の調理鍋がほぼ完全な状態で展示されています。
発見された当時、ニュースなどでも話題になった注目の鍋です。
エルトゥールル号の乗組員の分量には十分な大きさの鍋だったのではないかと推測されています。
この鍋でどんな料理が作られたのか気になります。


海底での発掘調査で多くの遺品が発見されましたが、錨はまだ発見されていません。


DSCN2447.JPG


最後は展望台へ


DSCN2400.JPG


館内を出て階段を上って行きます。


DSCN2402.JPG


屋上が展望スペースです。
ここから遭難現場を見ることができます。


DSCN2408.JPG


この日はお天気が良くて串本のきれいな海が見渡せました。
青く穏やかな串本の海を見ていると、そのような悲しい事故があった場所だとは思えません。


DSCN2441.JPG


船甲羅が見ます。


DSCN2409am.jpg


ここから眺めると、小さくて船を沈めてしまう原因となった岩礁には見えないのだけれど。


DSCN2414.JPG


台風の中、この岩礁に激突し、流入した海水により機関部で爆発を引き起こし沈没してしまいました。


DSCN2422.JPG


展望台から樫野崎灯台や慰霊碑が見えます。
目の前の断崖の上に建っていますが、何とか海岸にたどりついた乗組員は岸壁をよじ登り、樫野崎灯台に助けを求めたそうです。


DSCN2420.JPG


次は灯台や慰霊碑も紹介したいと思います。


<トルコ記念館>


・住所 和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-25
・電話番号 0735-65-0628
・営業時間 9:00~17:00
・定休日 年中無休
・入館料金 500円(高校生以下 250円)
・アクセス JR串本駅より串本コミュニティバス大島・出雲線で約44分、樫野崎灯台口下車、徒歩約3分
・駐車場 樫野駐車場 84台(無料)



2018年4月19日
2018年4月15日
2018年4月12日
2018年4月11日
2018年4月10日
⇒すべての記事を見る

近畿旅行 旅スケジュール

旅行者の作る、新着!旅スケジュールをご紹介します。 ■和歌山県の旅行記・口コミ「旅スケ」へ

日本国内特派員ブログ一覧

しまなみ海道・広島ニセコ・北海道三重与論島五島列島京都仙台和歌山埼玉大阪奈良宮古島富山小笠原山形広島徳島房総・千葉新宿札幌東京東京2東京3栃木横浜・神奈川沖縄沖縄2湘南滋賀神戸神戸・兵庫福井福岡福島種子島能登茨城軽井沢・長野金沢釧路長崎長野青森香川鶴見大島・大分鹿児島

日本国内にもどる

  • 特派員プロフィール
  • 和歌山特派員

    和歌山特派員
    麻巳子
    生まれも育ちも和歌山県和歌山市の麻巳子(まみこ)です。 和歌山県内を主に夫と車で巡り撮影しています。 県内の市町村は全て巡っていますが、訪れるたびに感動や魅力を発見しています。 そんな素敵な和歌山を紹介させてくださいね。 DISQUS ID @disqus_5nr9x4fAx4

  • リーダーに登録

地球の歩き方Web特派員募集