聖域のはじまり「滝尻王子」
滝尻王子から長く険しい中辺路の参詣道が始まります。
滝尻王子(たきじりおうじ)とは、熊野の神域への入口に位置し、熊野九十九王子の中でも特に格式の高い五体王子のひとつです。
富田川と石船川が合流する地点に鎮座する滝尻王子。
滝尻の名は、石船川の急流が富田川にそそぐ滝のような水音からきたといわれているそうです。
かつての参詣者は滝尻王子の裾を流れる富田川を何度も渉り、心身を清めてからこの地に足を踏み入れ参詣しました。
国道311号線から滝尻王子前を通り過ぎた道の左側に無料の駐車場とトイレが有ります。
私たちはこちらに車を駐車して、歩いてすぐの滝尻王子へ。
境内入口には大きな世界遺産の記念碑が建立されています。
そして正面には滝尻茶屋が建っています。
茶屋といってもお店ではありません。
以前はお土産物などを販売していましたが、今は無料休憩所となっています。
施錠は17:00です。
トイレは向いの熊野古道館前にあるので、熊野古道を歩かれる方は先にそちらで済まされておく方がよいですね。
休憩所の隣にはベンチがあります。
境内の広場の向こう、木立の中に王子社が鎮座しています。
石造の鳥居をくぐり石畳の参道を歩いて行きます。
滝尻王子社です。
王子社というのは、熊野の神様の御子神(おこがみ)がお祀りされているところで、参詣者の休憩所でもありました。
現在は小さな社殿のみですが、平安時代末期には、藤原秀衡の寄進により広大な境内を持ち、七堂伽藍が建立されたといわれています。
王子社では、奉幣と経供養などの儀式が行われていました。
承安4年(1174)、藤原経房(つねふさ)が参拝した時には、社殿で巫女が里神楽を舞っており、
建保5年(1217)の後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)と修明門院(しゅうめいもんいん)が参詣の時は、両院が馴子舞(なれこまい)に興じており、いろいろな芸能が奉納されています。
後鳥羽上皇が歌人を随行させたときには、この王子社の宿所で盛大な和歌会が開かれています。
後鳥羽上皇は28回も詣でられており、王政復権を祈願し幾度も歌会を催され、歌に思いを託されています。
私は熊野古道を歩くわけではないのですが、旅の安全をお願いしました。
静かな境内に鈴の音が響き渡りました。
鳥居そばに建立されている歌碑には、後鳥羽上皇の一首の歌が刻まれています。
山河水鳥
おもひやるかものうはげのいかならむ しもさへわたる 山河の水
山河水鳥は、歌題だそうです。
歌会で各歌人が詠んだ歌を、署名とともに自筆で懐紙に書いたものを「熊野懐紙(かいし)」というのですが、
熊野懐紙の複製品なども熊野古道館に展示されているのでお見逃しなく♡
正治2年12月6日の滝尻王子での歌会の歌題は山河水鳥、旅宿埋火。
11枚22首の熊野懐懐紙は分散して現存しているようです。
鎌倉末期以降、熊野の御子神5所をお祀りする五体王子のひとつとされ、室町時代にもそのように呼ばれていました。
けれど、三栖から潮見(しおみ)峠を越えて栗栖川へ通じる道が多く利用されるようになると衰退してしまいました。
明治時代には村内の神社を合祀して十郷(とごう)神社として呼ばれたそうですが、
現在は滝尻王子宮十郷神社と称されています。
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