ボスニアの小さな街に残るユーゴスラビアの影
前回の記事でちらっと紹介したボスニアの小さな街 Šamac(シャーマッツ)。
観光で訪れる人なんてまずはいないだろう・・・というような小さく平和な街です。
(Šamac(シャーマッツ)は地図の点部分にあります。クロアチアとの国境のすぐ側にある小さな街。
地図の出典はWikipedia。)
歴史的にはオスマン帝国やオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった時期があり、
ユーゴスラビア時代には、この地域一帯にはクロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人(イスラム教徒)が
共に暮らしていました。
(公園で遊ぶ子供たち)
そんなこの街の背景を象徴するような光景があります。
(上の写真はモスク)
ひとつの通りにクロアチア人のためのカトリック教会、セルビア人のための正教教会、
ボシュニャク人のためのモスク(イスラム教徒の礼拝堂)が建っています。
特にカトリック教会と正教教会は通りを挟んでそぐそこ、まさにとなり合って建っているのです!
上の写真では少しわかりにくいですが、右側のしましま模様のある建物が正教教会、
左側にちらっと見えているとんがり屋根がカトリック教会の建物です。
この街のうわさでは、このカトリック教会と正教会は、お互いの教会の「塔」高さを競い合っていたのだとか。。。
あくまでうわさなので、その真相は定かではありませんが。。。
今は平穏な光景が広がり、セルビア人、そして少数派のクロアチア人やボシュニャク人がそれぞれが平和に
共に暮らす小さな街ですが、この街もかつてユーゴスラビア紛争の戦火にさらされました。
現在この街の人口のほとんどはセルビア系だそうです。
ユーゴスラビア紛争中、セルビア系の住民がクロアチア系、ボシュニャク系の住民を
無理やり追い出したためです。
家など建物をよくみると銃弾の跡があったり、戦争で破壊されたままの建物がそのまま残されていたりします。
街の近くに架かっているこの橋は、セルビア人居住地域とクロアチア人居住地域を隔てる川にかかる橋なのですが
戦争中に破壊されました。
戦後また再建され、現在はまた人々がこの橋を通って両方を行き来しています。
ちなみにこの川はBosna(ボスナ)という川で、ボスナ川はこの街(シャーマッツ)でザグレブを流れる
Sava(サヴァ)川へつながります。
(次回記事「平穏なボスナ川にも残された戦争の傷跡」へ続きます)
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