戦時下の子ども時代とはどんなものか、想像できますか?
今日はチャリティーイベント「「子どもの戦争博物館」設立支援チャリティートークセッション「戦場、それでもぼくは笑った」」のお知らせです。
クロアチアのお隣の国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは旧ユーゴスラビア内戦で深く傷ついた国。筆者のパートナーやその家族もボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のため、何度かこのブログでボスニアについてのお話をお伝えしてきましたが、筆者にとっても何かと思い入れの強い国です。
戦争が終わって20年以上が経った今、平和を取り戻したボスニア・ヘルツェゴヴィナ。
温かい人々、エキゾチックで美しい街並みなど、魅力満点のボスニア・ヘルツェゴヴィナには、モスタルやサラエボなどを中心に近年日本からの観光客も増えてきました。人懐っこい笑顔を私たちに向けてくれる現地の人々ですが、今でも筆舌に尽くしがたい悲しみを心の奥深くに抱えながら生きている方がたくさんいます。
筆者のパートナーやその家族もそんなひとり。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの小さな村で生まれ育った彼は、戦争が起こった当時たった3歳だったそうですが、あまりにもの強烈な記憶は幼いながらも彼の記憶に焼きついて、今でも鮮明に残っているそうです。
村の中を毎日人々が泣きながら、棺を担いで歩く姿。お父さんが亡くなったという知らせを聞いて、泣き崩れるお母さんの姿。家の周りで鳴り響く銃声や手榴弾が爆発する音...。今でもそのすべてをはっきりと覚えているそうです。
(子供の頃に描いた絵)
ドイツに命からがら亡命し、安全な居場所が見つかってからも、その後数年間、毎日ようにリアリティ溢れる「死ぬ夢」という悪夢に苦しんだのだとか。セラピーなどを受けて徐々に悪夢を見ることはなくなったそうですが、今でも彼の死生観や考え方などに触れる瞬間、幼少期に戦争を体験したことが大きく影響しているのだな・・・と感じることがよくあります。
普段はそんな辛い過去を抱えていることを露ほども感じさせない陽気で明るい彼や家族たちですが、ふっとした瞬間、深い心の傷を垣間見ることが。実際に彼らと同じ体験をしたわけでもなく、完全な第三者である外国人の私がこんなことを語るのは単なる自己満足なんじゃないか・・・と思う気持ちがある一方、たまたま縁があってつながりを持つようになった国の人々を通して考えさせられた大切なことを、周りの人にも知ってもらいたいな・・・という思いもあります。
クロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビアなど旧ユーゴスラビア地域を普通に旅するだけでは、なかなかディープなお話を現地の人から聞かせてもらえる機会はありませんが、だからこそ、今回東京で行われるチャリティーイベント「「子どもの戦争博物館」設立支援チャリティートークセッション「戦場、それでもぼくは笑った」」は、きっときっとたくさんのことを考えさせてもらえる貴重な場になるのではないかと思います。
講演されるヤスミンコ・ハリロビッチ氏も、戦火のボスニア・ヘルツェゴヴィナで幼少期を過ごしたひとり。『ぼくたちは戦場で育った』の著者としても知られている方です。
「二度と戦争をくり返さない」「地元の子どもたちやサラエボを訪れる旅行者に、当時の状況を知ってもらいたい」という強い思いを胸に、サラエボで「子どもの戦争博物館」を設立するために向けて活動されています。今回東京で開催される、このトークセッションの収益金も「子どもの戦争博物館」の設立準備金、及び運営管理費に資金となるとのことです。ご興味のある方、ぜひぜひご参加ください!
下記イベントの詳細と、「子どもの戦争博物館」の詳細をお伝えします。(ボスニア・ヘルツェゴビナ代表私設応援団のFacebookページよりそのままcopy&pasteさせていただきました)
(子供の頃に描いた絵)
「子ども戦争博物館(仮題)」設立支援イベント
ヤスミンコ・ハリロビッチ氏来日記念トークセッション
【日時】2016年3月17日(木) 18:00より
【会場】武蔵野プレイス内フォーラム
(JR中央線・武蔵境駅より徒歩1分)
【出演者】
ヤスミンコ・ハリロビッチ氏(『ぼくたちは戦場で育った』著者)
千田 善氏(国際ジャーナリスト・作家 代表作『オシムの伝言』『ユーゴ紛争』)
【モデレーター】
森田太郎(Sarajevo Football Project代表)
今回のトークセッションは、ヤスミンコ・ハリロビッチ氏がサラエヴォで設立を目指している「子ども戦争博物館(仮題)」設立に向けた支援を目的としております。
みなさん、ご家族、ご友人をお誘いあわせの上、ご参加ください。
【日時】
2016年3月17日㈭
18:00(開場)
18:30(開始)~20:30(終了)
【場所】
武蔵野プレイス(4Fフォーラム)
〒180-0023武蔵野市境南町2-3-18
【アクセス】
JR中央線・西武多摩川線「武蔵境駅」南口下車、徒歩1分
《チャリティートークセッション》
【出演者】
ヤスミンコ・ハリロビッチ氏
(子どもの戦争博物館代表・『ぼくたちは戦場で育った』著者)
角田 光代氏
(作家・小説家・翻訳家 代表作『八日目の蝉』『紙の月』)
千田 善氏
(国際ジャーナリスト・作家 代表作『オシムの伝言』『ユーゴ紛争』)
【モデレーター】
森田太郎(Sarajevo Football Project代表)
【参加費】
プレミアムコース(定員30名限定):¥10,000
《博物館設立支援金&限定サイン本・特別懇親会付き》
限定サイン本コース:¥3,000
《博物館設立支援金&限定サイン本付き》
一般参加コース:¥1,000
《博物館設立支援金》
★定員50名(限定サイン本コースと一般参加コースを合わせて)
※今回のトークセッションの収益金は、サラエヴォで設立される「子どもの戦争博物館」の設立準備金、及び、運営管理費に資金となります。
【申込方法】
下記2通りにて申込を受け付けております。
※申込先着順にて定員になり次第締め切らせて頂きます。
①申込フォーム【寄付のみも受け付けております。】
下記フォームに入力してください。入力後にお振込情報を返信致します。
※通常1営業日以内に返信を行っておりますが、返信の無い場合はメール未達の恐れがございます。お急ぎの場合は、こちらmuseum.warchildhood@gmail.com(担当:森田さん)までご連絡ください。
②その他(メールでの申込)【寄付のみも受け付けております。】
下記メールアドレスにお名前と参加コースを明記の上ご連絡ください。入力後にお振込情報を返信致します。
museum.warchildhood@gmail.com(担当:森田さん)
《申込は振込完了をもって完了とさせて頂きます。》
【子どもの戦争博物館とは?】
ボスニア戦争(1992〜95年)は昨年で停戦20周年でした。ボスニア全体で300万人が難民となり、十数万人の生命が失われました。中でも人口約50万人の首都サラエボは激戦地のひとつで、1万1千人あまりが死亡、そのうち1600人が子どもでした。
ヤスミンコ・ハリロビッチくん(27歳)は戦争がはじまった当時4歳。戦時下のサラエボで子どもたちがどんなふうに暮らしていたかを記録しようと、同世代の人びとにネットを通じてたずねました。
「あなたにとって、戦時下の子ども時代とは何でしたか?」
回答はショートメールの制限字数160字以内で、1000人以上の人びと(1977〜92年生まれ)から寄せられました。写真や当時の日記などもあわせて 出版されたのが「Djetinjstvo u Ratu 戦時下の子ども時代」でした。(邦訳は「ぼくたちは戦場で育った」角田光代訳・千田善監修・集英社インターナショナル刊)
今年の夏にも開館を予定している「子どもの戦争博物館」は、本におさめられた文や写真に加えて、当時の「思い出の品」などを展示する、常設のミュージアムになります。
博物館の建物はサラエボ中心部にほぼ決まり、すでに、当時はいていたバレエ用のトウシューズ、卒業式が中止になり着ることができなかったドレス用の生地、避難シェルターで抱いていたぬいぐるみ、などが集まっています。
戦争を記憶・記録することは、二度と戦争をくり返さないという意志のあらわれでもあります。地元の子どもたちやサラエボを訪れる旅行者に、当時の状況を 知ってもらうのが目的です。将来的には、「アンネ・フランクの家」(オランダ)など子どもと戦争に関係した博物館・記念館とも協力していく計画です。 (文・千田善氏)
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