スターリン体制下 政治犯の妻たちの強制収容所「アルジール」に日本人女性(前編)
そこには暗い歴史がありました。スターリン体制の下、「祖国の裏切り者」と呼ばれた
女性やその妻たちが、アスタナから車で数十キロにある強制収容所に囚われていました。
日本人女性も収監されていたと言われる収容所の跡地は、いまは博物館になっています。
博物館の名前は「アルジール」。「政治的抑圧による犠牲者の記念館」とも呼ばれ、1930
年代には8千人近くの女性がこの地で命を落としたという悲しい記録が残されています。
今年は戦後70周年ということもあり日本の新聞でもシベリア抑留をよく目にしますね。
実はここに日本人女性も収監されていたとの噂を聞き友人と行ってみることにしました。
場所はアスタナ隣町のアクモル村。車で約30分のところにあります。タクシーには旧名
マリノフカ(Marinovka)の方が通じるかもしれません。何もない道を走りつづけます。
アクモル村に入ってすぐの道路沿いにある大きな看板「アルジール」(АЛЖИР)が目印。
広い敷地のなかでもひときわ目立つ、銀色のアーチ状のモニュメントに向かいましょう。
ランドマークの名は「悲嘆のアーチ」(Arch of Sorrow/Grief)。中のプレートには「政治
的抑圧の犠牲者に捧げる」との言葉。形がどこかカザフ女性の伝統的な帽子に似てますね。
左手には実際に使われていた輸送貨車。通常1両に70人近く詰め込まれたとのことです。
さらに先へ進むと左右対称に伸びる小道の端に男と女の像がそれぞれ設置されています。
「絶望と無力」(Despair and Impuissance)。脱力した彼は政治犯である夫でしょうか。
小路の正反対にある対照的な女性の像は「闘いと希望」(Struggle and Hope)。遠くを
見つめ静かで思慮深いその姿勢からは、未来への希望を信じた強い意志が感じられます。
敷地の奧に鎮座する、上部が切り取られ赤茶色の大理石でできた円錐状の建物が博物館。
まさにこの場所に以前通称「アルジール」と呼ばれた女性専用ラーゲリがあったのです。
壁面に粛正の歴史の断片が飾られている12メートルに及ぶトンネルを下ってゆきます。
ここで政治犯の妻たちの強制収容所「アルジール」の前編は一端終わりです。次回はい
よいよ「アルジール」館内に展示された政治犯の妻たちの収容生活を紹介していきます。
粛正の時代は想像し難いけれど歴史を繰り返さないためにも目を背けてはなりませんね。
【中編へ】https://tokuhain.arukikata.co.jp/astana/2015/05/post_72.html
【強制収容所跡地博物館「アルジール」(АЛЖИР)】
Address:pos. Akmol, Akmolinskaya
Phone:8 (7172) 499 455, 8(7172)542 669
Hours:9:00-18:00 (日曜休館)
Fee:大人300,学生250,小学生以下170,映画500(テンゲ)
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