いつからここに佇むのか エレメンタウの石人像
さて、9月にはいるとアスタナは寒くなり始めます。
街の人たちのダウンジャケットや革ジャンも、もはや当たり前の装いですが、今日は夏のお話。
以前、アタメケンにご一緒した友人からお誘いの連絡が入ります。
曰く、翌日朝一で郊外の遺跡に行くので一緒にどうか。
勿論、二つ返事で誘いに乗ります。
博物館の先生の運転で、歴史探訪ドライブの始まりです。
街の北東に伸びる主要道、Шоссе Алашをひた走ります。
市を越えたここすぐに草原が広がります。
アスタナの北東に位置するノボマルコフカ。
運転は博物館の先生ですが、彼によるとこの地は1850年代、ウクライナの人たちが最初に入植した辺りなのだとか。
ソ連時代に建てられた牛舎の骨組みを横目に、今度は標識すらない草原に車を乗り入れます。
単なる未舗装路ではなく、道の無い道です。
上下左右に振られるような乗り心地。
日本車の性能に感心すると共に、GPSも使わず方角を把握しているカザフ人に感服します。流石は草原の民。
私は既に車酔いですが、カザフのおじさん達はケロッとしています。
「かつてのカザフの民は、地上より馬上で過ごす時間の方が長かった。」そういえば、物の本で読んだ事を思い出します。
そうこうしている内にエレメンタウの遺跡群に到着します。
柵が作ってありますが、これは放牧している牛たちが、体を擦り付けて遺跡が損傷するのを防ぐ為なのだそうです。
実際、辺りに牛の群れが草を食んでいます。
目的の一つ、石人です。
6世紀から7世紀の突厥の時代に作られたこの遺跡ですが、現在これら石人がいかなる目的で作られたのはわかってはいません。
石人の顔や持ち物で、性別や身分がわかります。
更に後ろに塚があり、その塚に石を入れる事によって、周囲の部族が祀ってある石人の部族に敬意を表したと考えられているのだとか。
看板には英語とカザフ語、それにロシア語の但し書きがあります。
実はこの石人たちの下には、青銅器時代の遺跡も埋まっています。
遺跡の示すものとして、ここエレメンタウでは7000年前から人が住んでおり、馬の調教が始まった場所なのだそうです。
当時は木もあり(=大事な事なので繰り返しますが、現在は草原しかない)定住出来る場所でしたが、気候の変動で、移動の必要が生じた様です。
近代に入り、新たに定住した人たちが、遺跡と知らずに家を建てる為の材料として、使ってしまったのも結構あるのだとか。
更に、個人所有の放牧地なので、発掘もなされるのかわかっていないのが実情です。
道なき道を進んだのはその為で、ここへ来る許可も事前に取ったとか取ってないとか。取ったのか?
遺跡として保護しているものの、これら石人が観光地化されるのか、はたまた現在と変わらず佇むのみなのか、気になる所です。
ところで、この記事をもって私の執筆を終了とさせて戴きます。
今まで悪文にお付き合い戴いた読者の方々、場所を提供戴いた地球の歩き方ブログ担当の方々、どうもありがとうございました。
と、そっと横に、ワイヤレスキーボードを置く。
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