タイとラオスの奇寺。 ブッダパークとサラ・ケオ・クーの生みの親 -2

公開日 : 2011年01月05日
最終更新 :
bpark_DSC0969.jpg

前回の記事で写真を見て頂いたビエンチャン郊外のブッダパーク(ワット・シェンクワン)と、タイ、ノーンカイのワット・サラ・ケオクー(ワット・ケーク)の生みの親はルアンプー・ブンルア・スリーラット(Luang Pu Bunleua Sulilat)という一人の宗教家。1932年、タイ王国ノーンカイ県生まれで、ブンルアが名前、スリーラットが名字。ルアンプーとはお年を召した僧侶に対する敬称です。タイで思想犯として投獄された経験もあります。

30歳頃にノーンカイからメコン川の対岸、ラオスに移住し、自らの哲学を具象化した『ワット・シェンクワン(ブッダパーク)』を1958年に建設します。

bpark_DSC1008.jpg

後にラオスでは共産党が勢力を握るようになり、1974年(1975年とも)にタイのノーンカイに移ります。(※1975年はラオス人民革命党がラオス王国を打倒し、ラオス人民民主主義共和国を建国した年。)

タイに戻ったスリーラットは、ワット・シェンクワンからメコン川を越えた対岸付近に新たなお寺、ワット・サラ・ケオクー (Wat Sala Keoku)の建設を始めます。サラ・ケオクーとは、ケオクーとは彼が若い頃に出会った精神的指導者の名前で、サラはホールという意味。規模が大きくなったお寺はナーガ(龍)やヒンドゥー教の他にも伝統と現代の融合をモチーフとした像が多く造られ、更にユニークなものになっています。

スリーラットが1996年に死去した後、遺体はサラ・ケオ・クーの建物3階に安置されています。

watk_R0010425.jpg

どちらの寺院も数百もの非熟練の信者による労働奉仕と、寄付により作られています。それぞれの像の主な材料はコンクリート。ラオスのメコン沿いには多くのコンクリート工場があり、安くて入手が容易なため、スリラット自身が選びました。

また、行程では意図的に彫刻技術が極力排除されており、スリラットが瞑想によって得たイメージを体現しています。一部コンクリートが剥がれ、芯(鉄筋)がむき出しになるなど、劣化が心配ですが、アウトサイダーアートとしても十二分に見応えがあります。

bpark_R0010357.jpg

ブッダパークのこの像は16.000.000Kip(約16万円)の価値があるそう。2005年に信者の寄付によって創られようです。

ちなみに、タイ人の中での知名度は?と思い、シラパコーン大学の卒業生に尋ねたところ、タイ仏教美術の講義で紹介されていたので知っているとのこと。一般的には知名度が低いようです。

次の記事では、パワーアップしたお寺、サラ・ケオクーを写真で紹介します。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。