【思い出の風景写真②】ボローニャの墓地・チェルトーザ・ディ・ボローニャ
自由に外出ができるようになり、10日間が経過しました。
今のところ第二波も起こらず、順調にいろいろなお店が開き始めています。
ですが、まだまだ警戒が必要なため、なるべく家で過ごしています。
今回の記事も、思い出の写真からボローニャのサン・ルーカのふもと、ボローニャのサッカー場の横にある墓地「チェルトーザ・ディ・ボローニャ」(Certosa di Bologna)を紹介します。
中心街からチェルトーザ・ディ・ボローニャは、19番のバスで行けます。
「Chiesa Certosa」駅で下車します。(バスで17分)
なかはとても広いので、適当に歩いてしまうとなかなか目的のお墓にたどりつけません。
有名な人たちはひとつのエリアに集中しているので、地図で確認し(地図は入口でもらえます)、そこを目指すといいでしょう。
ボローニャにまつわる偉人たちが眠る場所
いくつかの有名なお墓を紹介させていただきます。
●ソプラノ歌手「イザベッラ・コルブラン」
1785年2月2日生まれ
1845年10月7日没
作曲家ジョアキーノ・ロッシーニの最初の結婚相手です。
彼女のためにロッシーニは、「ゼルミーラ」や「セミラーミデ」などたくさんのオペラ作品を書きました。
ちなみに、ボローニャの観光案内所で「ロッシーニ巡り」というパンフレットをもらえます。
そして、こちらのコルブランのお墓もそのコースに含まれています。
(「ロッシーニ巡り」については、また後日ご紹介します!)
●作曲家「オットリーノ・レスピーギ」
1879年7月9日生まれ
1936年4月18日没
作曲家で、3つの交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」が有名です。
すてきな声楽曲も書いています。
ボローニャ音楽院の学長も務めました。
(ちなみに、ボローニャ音楽院のある広場が「ロッシーニ広場」、ボローニャ歌劇場の横が「レスピーギ広場」です。)
●詩人「ジョズエ・カルドゥッチ」
1835年7月27日生まれ
1907年2月17日没
ボローニャ大学の教授でもありました。
現代イタリアの国民的詩人として影響力が大きく、1906年にはイタリア人で初のノーベル文学賞を受賞しています。
●シンガーソングライター「ルーチォ・ダーラ」
1943年3月4日生まれ
2012年3月1日没
シンガーソングライター、俳優として活躍しました。
有名な歌はL'anno che verrà。
とてもわかりやすくて聞きやすい歌なので、ぜひ聴いてみてください。
友達への手紙が歌詞となっています。
■チェルトーザ・ディ・ボローニャ(Certosa di Bologna)
通常だと、ガイドツアーなどもあるようです。
ぜひ、新型ウイルス終息後にボローニャ観光をする際は、サン・ルーカと一緒にこちらの墓地も観光してみてはいかがでしょうか。
筆者
イタリア特派員
望月 唯
ボローニャ在住のメゾソプラノ歌手です。ボローニャ生まれのピアニスト・マルコと一緒にボローニャの歴史や裏話を紹介します。
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