【思い出の風景写真②】ボローニャの墓地・チェルトーザ・ディ・ボローニャ

公開日 : 2020年05月29日
最終更新 :
筆者 : 望月 唯

自由に外出ができるようになり、10日間が経過しました。

今のところ第二波も起こらず、順調にいろいろなお店が開き始めています。

ですが、まだまだ警戒が必要なため、なるべく家で過ごしています。

今回の記事も、思い出の写真からボローニャのサン・ルーカのふもと、ボローニャのサッカー場の横にある墓地「チェルトーザ・ディ・ボローニャ」(Certosa di Bologna)を紹介します。

中心街からチェルトーザ・ディ・ボローニャは、19番のバスで行けます。

「Chiesa Certosa」駅で下車します。(バスで17分)

cimitero.png

なかはとても広いので、適当に歩いてしまうとなかなか目的のお墓にたどりつけません。

有名な人たちはひとつのエリアに集中しているので、地図で確認し(地図は入口でもらえます)、そこを目指すといいでしょう。

IMG-2933.JPG

ボローニャにまつわる偉人たちが眠る場所

IMG-2932.JPG

いくつかの有名なお墓を紹介させていただきます。

●ソプラノ歌手「イザベッラ・コルブラン」

1785年2月2日生まれ

1845年10月7日没

作曲家ジョアキーノ・ロッシーニの最初の結婚相手です。

彼女のためにロッシーニは、「ゼルミーラ」や「セミラーミデ」などたくさんのオペラ作品を書きました。

IMG-2938.JPG

ちなみに、ボローニャの観光案内所で「ロッシーニ巡り」というパンフレットをもらえます。

そして、こちらのコルブランのお墓もそのコースに含まれています。

(「ロッシーニ巡り」については、また後日ご紹介します!)

●作曲家「オットリーノ・レスピーギ」

1879年7月9日生まれ

1936年4月18日没

作曲家で、3つの交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」が有名です。

すてきな声楽曲も書いています。

ボローニャ音楽院の学長も務めました。

(ちなみに、ボローニャ音楽院のある広場が「ロッシーニ広場」、ボローニャ歌劇場の横が「レスピーギ広場」です。)

IMG-2939.JPG

●詩人「ジョズエ・カルドゥッチ」

1835年7月27日生まれ

1907年2月17日没

ボローニャ大学の教授でもありました。

現代イタリアの国民的詩人として影響力が大きく、1906年にはイタリア人で初のノーベル文学賞を受賞しています。

IMG-2942.JPG

●シンガーソングライター「ルーチォ・ダーラ」

1943年3月4日生まれ

2012年3月1日没

シンガーソングライター、俳優として活躍しました。

有名な歌はL'anno che verrà。

とてもわかりやすくて聞きやすい歌なので、ぜひ聴いてみてください。

友達への手紙が歌詞となっています。

IMG-2941.JPG

■チェルトーザ・ディ・ボローニャ(Certosa di Bologna)

通常だと、ガイドツアーなどもあるようです。

ぜひ、新型ウイルス終息後にボローニャ観光をする際は、サン・ルーカと一緒にこちらの墓地も観光してみてはいかがでしょうか。

筆者

イタリア特派員

望月 唯

ボローニャ在住のメゾソプラノ歌手です。ボローニャ生まれのピアニスト・マルコと一緒にボローニャの歴史や裏話を紹介します。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。