ルーマニアの伝統的な町 【後編】

公開日 : 2016年02月28日
最終更新 :
筆者 : T&O

ブラショヴにはシティ・センターにある広場だけではなく沢山の楽しい所があります。これから主な場所を紹介いたします。

★ブラショヴの門と壁

昔、ブラショヴのシティ・センターにいた貴族の家や行政機関等の主な建物に対し、進入を試みた他民族から建物を護るように大きな壁が建てられました。街を護っていた軍隊は高い砦からブラショヴの四つの主な門を保護していました。その四つの門は「Poarta str?zii por?ii(ポアルタ・ストラズィー・ポルツィー)」(直訳で、門の通りの門)、「Poarta v?mii(ポアルタ・ヴァミー)」(直訳で、税関の門)、「Poarta str?zii negre(ポアルタ・ストラズィー・ネグレ)」(直訳で、黒通りの門)と「Poarta Ecaterinei(ポアルタ・エカテリネイ)」(直訳で、エカテリナ女王の門)と呼ばれ、現在まで保存され、当時のままの建築として人気があります。

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★ストラダ・スフォリー

ブラショヴのストラダ・スフォリー通りは エカテリナ女王の門の近くにある通りです。長さは80メートルで幅は1,11メートルしかありません。ストラダ・スフォリー通りはルーマニアで一番狭い通りとなっています。ヨーロッパでドイツのシュプロイアーホフ通りとイギリスのパーラメント・ストリートの後で三番目に狭い通りとなっていますので、機会があれば是非見に行って下さい!

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★黒教会

ブラショヴの黒教会は東ヨーロッパの中で最大のゴシック様式のルター派の教会です。黒教会は1477年に建てられ、聖マリア教会と呼ばれていました。しかし、1689年に、オソマン帝国の戦いでハブスブルグ帝国軍(昔、トランシルバニアを君臨していた帝国の軍隊)が進入してきた際に大火の煙で真っ黒になってしまいました。その事件以降、ブラショヴの聖マリア教会は黒教会という名が付けられました。

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★シュケイ

ブラショヴのシュケイという地区は昔ブルガリア人が多く住む街でした。この街は14世紀に聖二コラエ教会の敷地内にルーマニアで最初の学校が建てられました。その学校は現在では博物館になっています。博物館ではルーマニア語で印刷された様々な古い本や最初の印刷機が展示されていますので、教育や文化に興味がある方にはオススメです!

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ブラショヴは歴史的に見ると、ルーマニアの国土であったり、ハンガリーの国土であったりしていたので、様々な文化や歴史が混ざりあった街となっています。ルーマニアの伝統的な街を味わいたい方は、是非訪れてみて下さい!

ルーマニアに着き、賑やかなブカレストから離れ、歴史のあるルーマニアらしい町を訪れたい方にはブラショヴをオススメします!

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