ユネスコの無形文化遺産,情熱のタンゴ!

公開日 : 2010年07月30日
最終更新 :
筆者 : bonita
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▲無形文化遺産・タンゴ。写真/wikipedia/tango

ユネスコの無形文化遺産に登録された(2009/09/30)

ウルグアイとアルゼンチンの伝統舞踊・タンゴ。

アルゼンチンと聞いて、哀愁あるバンドネオンの音に合わせ

男女が頬を寄せ合い踊る、この情熱の踊りを思い浮かべる人は多いことでしょう。

タンゴの街ブエノスアイレスでは、

毎年8月に世界タンゴフェスティバルと選手権が行われ

世界中からタンゴファンが集います。

そのイベントの詳細については、また後日アップすることにして、

今日は、タンゴの特徴や歴史などについて、ちょっと触れることにしましょう。

タンゴ音楽に欠かせない楽器、それはやっぱりバンドネオンです。

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アコーディオンに似ているけれど、鍵盤型ではなくボタン型。

音階配置がほぼ不規則であることから習得が非常に難しく、

     ” 悪魔が発明した楽器 "

とも呼ばれていることは、過去の記事にも書いたことがあります。

ラ・プラタ川沿いの港町(ブエノスアイレスやモンテビデオ)で、

タンゴは生まれました。ブエノスアイレスの港町と言えば、

カラフルな色で塗り分けられた家々で有名なボカ地区です。

ここには、富を手に入れる夢を持ってやってきた移民たちが

苦しい生活を送りながらもたくましく生きていました。

彼らのようなヨーロッパからの移民、アフリカ系奴隷の子孫、

そして地元生まれのクリオージョたちの音楽が混じり合い、

タンゴが生まれたのです。

最初の頃は、場末のバルで男同士で踊られていたというタンゴ。

次第に、娼婦たちを相手に踊るようになり、

これが一般にタンゴとして広まったため

当時の上・中流階級の人々からは、下品な音楽だと敬遠されました。

そのタンゴが、芸能として初めて認められたのは、

アルゼンチンではなく、アメリカやヨーロッパでした。

1910年頃、パリでタンゴが大流行してから、

アルゼンチンでもようやく、タンゴの芸術的価値が認められるようになったのです。

そして次第に、下層階層の人ばかりでなく

広くアルゼンチン人たちに受け入れられていったタンゴ。

ブエノスアイレスには、

男女がタンゴを楽しむためのミロンガ(ダンスホール)が

いくつもオープンしました。

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私も、月に何度かミロンガに行って踊っていますが、

ミロンガで繰り広げられる、男女の暗黙の "駆け引き” が

すごく淑女・紳士的でスマートだなぁ、といつもウットリしてしまいます。

(実は...この土曜日の夜も、ミロンガで夜通しタンゴ三昧の予定!

 後日レポートしますね ^_^)

時々、日本からやってきた観光客の方に、

「アルゼンチン人なら、みんなタンゴを踊れるのですか」

と質問されますが、もちろんそんなことはありません。

(日本人なら誰でも日本舞踊を踊れるかというと、

 そうではありませんよね)

アルゼンチンのもう一つの音楽、フォルクローレは

学校で習ったりもするので踊れる人は多いと聞きますが、

タンゴはお年寄りが好む "ダサイ音楽”だと考えている

若い人たちって意外に多いのです。

タンゴの魅力が分からないなんて、まだまだ青いわ(笑)。

アルゼンチンにお越しの際は、

ぜひ一度タンゴのクラスを受けてみて下さい。

あなたもきっと、タンゴの魅力にハマってしまうはず♪

 ☆「南米のパリ」ブエノスアイレスで暮らす私の日常、時々、ビーグル。

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