青の街、タール砂漠の入り口 (ジョードプル2)

公開日 : 2014年02月13日
最終更新 :
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 とにかく見所をはずさないように回りましょうという事で、最もハイライトである「メヘランガル」へ急ぎました。

 現在でもマハラジャによって運営されている高さ130㍍の岩山にあるメヘランガルは高さ36㍍もある「偉大なる城塞」という意味です。(1459年マハラジャ•ラオ•ジョーダがジョーダの街、ジョードプルのシンボルとして建てたもの)

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 7重の門があるので回るだけでも大変。しかも博物館も中にあるので、半日はここだけに費やされてしまいそう。階段も幅が十分なかったり急な階段だったりでまるでリハビリをしているよう。

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 修学旅行で来ている中学生や、高校生が制服を着て先生方に引率されていました。私たちを先に行かせてくれたりして、結構気配りがあって嬉しく思いました。矢張りここぞという所で長い説明が入るからです。

グループに挟まってしまうと中々脱出できませんから。

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 細密画はため息をつくほど素晴らしい作品でした。また象の上に載せる籠まで展示されていました。きっと象に乗り狩りに出かけたのでしょうか?

ユーモラスな大学生の男の子達が、籠を担いでいるジェスチャーをしている所を写真に収めさせている姿が微笑ましいなと思いました。日本人はシャイですから、そういうジェスチャーは出来ないでしょうね?

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 庭園があり、博物館ありで1年分を歩き回った気がしました。 

花の宮殿、真珠の宮殿は特にマハラジャの言うなれば応接室。タハット宮殿はその名のとおり、マハラジャ•タハット•シン(即位1843〜1873)が特に愛していました。このマハラジャは何と30人も妻がいたそうです。

 又ホーリー•チョウクという中庭では、3月の色粉をかけあう「ホーリー祭り」を女性たちが上から様子を見られるために使われていたと言います。当時のホーリーの様子も描かれている細密画を見て、こんなに歴史があるのかとまた勉強になりました。

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 大砲の置かれる城塞の南方では青い街を見下ろす事が出来て、清々しい気持ちになりますが、いつ敵から侵略されるのかと心配しながらの生活はどんなにストレスだったことでしょう。当時の人たちに自分をあわせて考えると到底心底ハッピーとは言えないでしょう。

 最後帰りがけにローハーポールという(鉄の門)所を通ると、小さな手形がたくさん並んでいます。ここは「手相の発祥地」なんだ?と思いきや、何とマハラジャの妻たちが1843年、夫の火葬の場で身を投じて自殺(サティ)をしたという悲しい、悲しい事実を手形に保存してあったのです。赤い粉がかけられているので、そのパネルのような手相は古い感じがしませんでした。

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 戦争や豪華絢爛な宮殿の数々で私たちはため息をついたり、頭がクラクラしたりしていました。これは単に暑さだけではなく、奥深い歴史を知れば知るほどそうなのか〜と単にマハラジャたちの当時の生活を羨ましがる事は出来なくなってしまいました。

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