「ナウマン象」のナウマンさんは、ドイツ人の名前だった

公開日 : 2007年03月21日
最終更新 :
筆者 : 柴山 香

小学校の日本史の時間に習った「ナウマン象」。「ナウマン」というのが、実はドイツ人の名字だと知ったのは、あの日本史の時間からウン十年も後のこと......ドイツに住むようになってからのことでした。

さて、そのナウマンさんの本名は、ハインリヒ・エドムント・ナウマン。ヨーロッパ初の白色磁器誕生地として有名なマイセンに1854年に生まれ、その後ミュンヘン大学で地質学を修了。若干20歳で博士号を取得した彼は、明治政府の招きでお雇い外国人として来日し、殖産興業に躍起になる政府の命により、日本列島に眠る未知の地下資源を発掘すべく、地質調査に乗り出しました。来日早々、東京帝国大学地質学教室の初代教授にも就任したナウマンは、「大島の噴火」、「富士山の標高」、「先史時代の日本の象」などをテーマとした数多くの論文・研究発表をしましたが、特筆すべき功績のひとつが、「フォッサマグナ」(糸魚川静岡構造線で有名)の発見でしょう。また、地質調査という地道で過酷な作業は、やがて日本初の地質学地図の誕生という形で、大きく実を結ぶことにつながりました。そんな功労者ナウマンが、日本に生息した象の化石研究の第一人者でもあったことから、後々発見された古代象が「ナウマン象」と命名されるにいたったのです。

さて、十年にも及ぶ日本滞在を終えて30歳でドイツに帰国したナウマンは、母校であるミュンヘン大学で教鞭をとるなど、ライフワークである地質学・資源調査に深く関わり続けました。ところで、こんなエピソードも残っているようです:ある年、ナウマンが、日本の起源・風習・宗教などを題材とした講演会を行った際、そのスピーチの内容に反感を抱いた森鴎外と真っ向から対決することになりました。その後も延々と新聞紙上で鴎外と一対一で論争を繰り広げたナウマンは、地質学分野のみならず、日本という国に関する自分の見解、知識にも高い誇りを持ち続けた人物だったことがうかがい知れます。

そんなナウマンは、母国ドイツでは残念ながらほとんど無名に近いのですが、日本では各所に関連展示がなされ、その功績が今も讃えられています..... というわけで、本日は日本のリンクを一件ご紹介したいと思います。

フォッサマグナ・ミュージアム(地球誕生のロマン、日本の起源を探る博物館。ナウマンの功績に関する展示も。於:新潟県糸魚川市)

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