【沼津市】伊豆水軍が拠点をおいた城山の公園【長浜城跡】
こんにちは。静岡・富士特派員の、わや猫です。
伊豆・三津シーパラダイスより、大瀬崎方面へと静岡県道17号 沼津土肥線を進んでいくと、1kmほど先に長浜城跡があります。
ここは戦国時代に、沼津から西関東までを治めていた大名北条氏が築いたとされる城のひとつで、伊豆水軍の戦いを支える重要な拠点だったそうです。
昭和63(1988)年に国指定史跡となって以降、公園としての整備が進み、400年前の姿を復元した城跡として、平成27(2015)年に一般開放されました。
お城として使われていた当時は、現在の道路がある面に入口があったようですが、そちらは昭和62年の道路改築工事の際に、モルタルで埋められてしまっています。
公園の東側には長浜釣堀観光センターがあり、長浜城跡を見学する際は、こちらの駐車場を利用できるようです。
僕は、伊豆・三津シーパラダイスから歩いて向かいましたが、それでも10分程度で到着することができました。
駐車場からは城跡を上っていける階段が整備されており、ここから弁財天のある第3曲輪に到着。
また階段の途中にある分岐を左へ曲がると、第4曲輪の方から虎口へ向かうルートもあります。
弁財天の裏にある虎口から先へ進むと、長浜城で一番大きな曲輪となる第2曲輪へたどり着きました。
この曲輪の入口には、いつから生えているのかわからない大きな樹があり、これにも歴史を感じさせられます。
また第2曲輪内には、当時建てられていたとされる掘立柱建物の柱が復元展示されていました。
長浜城は、水軍の城であると同時に、山城としての特徴も備えた珍しい城とのことですが、第2曲輪を振り返って眺めると、まるで本当に山の中にある城のような錯覚を受けます。
そして第1曲輪へは、第2曲輪の隅に建てられた櫓から上ることができます。
この櫓も、柱穴などから当時の様子を推測して再現された物なのだそうです。
お城の一番高い場所に位置する、第1曲輪。
戦争の際は、ここから城兵や水軍に命令を出していたとのことで、その眺めも格別でした。
晴れていれば内浦湾から富士山までを一望できますが、この日の富士山は残念ながら雲の中。
続いて、再び第2曲輪より。今度は、海へ向かって段状に造られた腰曲輪を下っていきます。
すると海へ突き出た岩場に到着。山城のイメージから一変して、海城のイメージが強くなりました。
なお、この腰曲輪を下るルートは、けっこう滑りやすいので、進む際は注意が必要です。
そして下ったということは、帰りは上らなければいけない訳で。これがまたキツい道のりとなります。
最後は、第1曲輪を回り込んで、お城の反対側から下の広場へと降りていきました。
こちらの広場には、戦国当時の軍船である安宅船の大きさを再現したガイダンスがあります。
また、この安宅船の説明も、こちらの広場に掲示されていました。
さらに、ここでは「『北条五代』を大河ドラマに!」という署名活動も行われています。
もしかしたら、いつかこの場所が、ドラマのロケ地となる日が来るかもしれませんね。
こんな感じで、ざっとではありますが、今回初めて訪れた長浜城跡。
歴史に詳しくない僕でも、その独特の造りをした城は、見ていて興味深いものでした。
1時間に1~2本、沼津駅からバスも運行しているため、アクセスがいい史跡だと思います。
■長浜城跡
・住所: 静岡県沼津市内浦重須
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