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日本国内/福岡特派員ブログ Duke

日本国内・福岡特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。

こんにちは、「地球の歩き方」福岡特派員のDukeです。今日は、北九州市立美術館本館で開催中のランス美術館コレクション『風景画のはじまり~コローから印象派へ』を紹介します。
戸畑区の小高い丘の上に建つ市立美術館は、建築界のノーベル賞と言われる「プリツカー賞」を2019年に受賞した磯崎新氏の設計により1974年に開館しました。筒状に伸びるふたつの展示室が宙に迫り出した特徴的な外観で、遠くからこの建物を見上げると、あたかも四角い双眼鏡が北九州市街を覗き込んでいるように見えることから、親しみを込めて「丘の上の双眼鏡」という愛称で呼ばれています。
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入口を入ると受付に先立って、サーマルカメラによる検温やシートによる連絡先・健康状態の確認、混雑時の入館制限など、新型コロナウイルスの感染拡大防止のための措置が徹底されています。その一環として、講演会やギャラリートークなどのイベントは、残念ながら中止となりました。
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エントランスホールの広い階段の両脇には、ロダンとプールデルの彫刻が飾られています。また、階段を上ると、先ほどの筒状の双眼鏡部分へと続き、コレクション展示室やミュージアム・カフェなどが設けられています。
このエントランスホールおよび2階のコレクション展示室の一部については、写真撮影および「地球の歩き方」福岡特派員ブログ掲載の許可をいただきました。

オーギュスト・ロダン「ピエール・ド・ヴィッサン」

百年戦争真っただなかの1346年、英国により包囲された北フランスの港町カレー。時の英国王エドワード3世は、カレー市民を助ける代わりに代表者が丸裸に近い姿で人質になることを要求しました。この作品は、町を救うために敢えて人質となることを志願した市民6人を顕彰するために制作された「カレーの市民」の中の一体です。
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こちらは、東京上野の国立西洋美術館の前庭に展示されている「カレーの市民」像。ロダンは、やせ衰えた市民6人が人質となるために城門へと歩く様子を通して、カレー包囲戦の敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖が交錯する瞬間を表現しました。
オリジナルの鋳型から作られる「カレーの市民」像のエディション数は12とされているなかでこれは9番目。ちなみに、1番目はもちろんカレー市庁舎前に置かれていますが、人質となった6人が英雄的に描かれていないことに憤慨したカレー市はこの像を受け入れず、除幕式が行われたのは、完成してから7年後だったそうです。
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エミール=アントワーヌ・ブールデル「ペネロープ」
32歳から15年間ロダンに師事したプールデルは、彫刻の表現方法をめぐる考えの違いから、やがてロダンの下を離れ独自の道を歩みました。この作品は、ギリシャ神話からとったもので、トロイ戦争に出征した夫オデュッセイヤの帰りをひたすら待ち続ける妻ペネロープ。モデルはブールデル夫人だそうです。
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1階の企画展会場、『風景画のはじまり~コローから印象派へ』の入口......ここから先は撮影禁止です。
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この展覧会では、フランスのランス美術館が所蔵するカミーユ・コロー(1796-1875)やギュスターヴ・クールベ(1819-1877)、ウジェーヌ・ブーダン(1824-1898)、そしてクロード・モネ(1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)、カミーユ・ピサロ(1830-1903)ら印象派へといたる19世紀フランス風景画、約70点(版画を含む)が紹介されています。
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フランスで風景画というジャンルが成立したのは19世紀初め。それまでの絵画はアトリエで制作されていたのに対し、チューブ式の絵の具が開発されたことに後押しされた画家たちは屋外に出て、自然を主題として絵を描き始めたのだそうです。その先駆者となったのが、コローやクールベ、ブーダンで、モネやルノワールといった印象派に引き継がれ発展していきました。
本展で展示されている絵画の一部は、北九州市立美術館本館(企画展)のウェブサイト でご覧いただけます。


こちらは、北九州市立美術館の所蔵作品を公開しているコレクション展示室。丘の上から筒状に突き出た双眼鏡にあたる部分です。最初の部屋だけ写真撮影が許可されています。

エドガー・ドガ「マネとマネ夫人像」

親しい関係にあったドガとマネは、あるときお互いの作品を交換しました。この絵はドガが描いた、ソファーに寄りかかるマネと(おそらく)ピアノを弾くマネ夫人。マネはこの絵が気に入らずに絵の右側の一部を切り取ってしまったという、いわくつきの絵です。
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ちなみにこの絵は、自分の絵を切り刻まれたことに怒ったドガが取り返し、復元するつもりで下塗りしたカンヴァスを継ぎ足したのですが、結局そのままの状態で放置されてしまいました。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール「麦わら帽子を被った女」
色彩あざやかながら、やわらかな印象を与えるルノワールの絵。風景そのものよりも人物、とりわけ表情の描写に徹底的にこだわったところに、モネとの作風の違いを感じます。
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ポール・ゴーギャン「アウティ・テ・パペ(川岸の女たち)」【ノアノア木版画集】1893-94年
タヒチから帰国したゴーギャンは、タヒチの自然や文化について記したタヒチ滞在記『ノアノア(マオリ語で「かぐわしき香り」の意)』を執筆しました。この木版画は、その挿画として制作されたものです。
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ポール・セザンヌ「水浴者」
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1913年に開館したランス美術館は19世紀のフランス絵画を網羅し、特に、コローやブーダンなどの風景画のコレクションが厚いことで知られています。現在は大規模改修工事のため休館となっており、その期間を利用して今回の『風景画のはじまり~コローから印象派へ』が企画されました。北九州市立美術館のあとは、島根県立美術館、ひろしま美術館などを巡回する予定となっています。
ランスはシャンパーニュ地方の古都で、文字どおりシャンパン生産の中心地として知られています。パリ東駅からTGVで45分と思いのほか近く、歴代フランス国王の戴冠式が行われたノートルダム大聖堂や大司教公邸トー宮殿、サン=レミ旧大修道院などの世界遺産をはじめ、世界的なシャンパンメーカーのカーヴ見学や試飲、葡萄畑が広がる美しい風景など見どころも盛りだくさんです。藤田嗣治(レオナール藤田)が設計・内装デザインを手がけ、死後埋葬されたフジタ礼拝堂(正式には「平和の聖母礼拝堂」)もあります。展覧会をきっかけに、まだ見ぬ土地に思いをはせるのも楽しいものですね。

【北九州市立美術館本館『風景画のはじまり~コローから印象派へ』】
・住所: 北九州市戸畑区西鞘ヶ谷町21-1
・開催期間: 2020年7月25日(土)~9月6日(日)
・開館時間: 9:30~17:30
・休館日: 月曜
・観覧料: 一般 1400円、高大生 1000円、小中生 600円
・問合せ: 093-882-7777
・URL: 北九州市立美術館本館(企画展)
・アクセス: (バス)JR小倉駅・JR戸畑駅・JRスペースワールド駅 西鉄バス7M番→美術館前/(車)北九州都市高速「山路」ICから約8分
・駐車場: 210台(無料)


2020年8月20日

こんにちは、「地球の歩き方」福岡特派員のDukeです。新型コロナの感染が再び増加傾向に転じ、第二波の襲来が懸念される毎日ですね。引き続き気を引き締めて感染拡大防止に努めていきましょう。
さて今日は、リバーウォーク北九州にある北九州市立美術館分館で開催中の「フジフイルム・フォトコレクション 日本写真史をつくった101人」を紹介します(写真はリバーウォーク北九州全景)。
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この少し先が市立美術館分館の入口。体温チェック、手の消毒をしてから、氏名・連絡先等を記入します(代表者のみ)。
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フジフイルム・フォトコレクションは、富士フイルム株式会社が2014年、創立80周年を記念して創設した写真コレクションです。
この展覧会では、国内外で高く評価される日本人写真家101人の代表作を1点ずつ、年代別(+ネイチャーフォト部門)に区分して展示しています。撮影不可なのでリーフレットだけ載せておきますが、印象に残った作品をいくつか紹介したいと思います(作者と作品名をクリックすれば写真を掲載しているウェブサイトで作品を観ることができます)。
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「第3章 戦後~1960年代 報道写真と新たな映像表現の台頭」では、次の4点が印象に残りました。

林忠彦「太宰治」(1946年)

山口県出身の林忠彦は、木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄などと並ぶ昭和を代表する写真家のひとり。銀座の老舗バー「ルパン」で撮られたこの写真は、すでに酔いのまわった太宰治から「おい、織田作(織田作之助)ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ」と言われて撮ったものだそうです。私たちがよく目にする太宰治の、硬く冷徹で古くさい写真では見ることができない、くつろいで楽し気な、茶目っ気すら感じさせ、太宰のイメージを大きく膨らませる1枚でした。この2年後、太宰は劇的な入水自殺を遂げ、自らの人生に幕を引くことになります。

木村伊兵衛「秋田おばこ」(1953年)

木村伊兵衛は1901年東京出身。日本の最も優れた写真家として、土門拳と双璧をなす木村伊兵衛ですが、ふたりについて興味深いエピソードがあります。

女優の高峰秀子が著書で「いつも洒落ていて、お茶を飲み話しながらいつの間にか撮り終えている木村伊兵衛と、人を被写体としてしか扱わず、ある撮影の時に京橋から新橋まで3往復もさせ、とことん突き詰めて撮るのだが、それでも何故か憎めない土門拳」と評している(ウィキペディア)。
写真のモデルは柴田洋子さん。どことなく芯の強さを感じさせつつも、清楚で物静かな印象の秋田美人ですが、長年来の友人によると、「バレエをしたり、けっこうはきはきした人」で、結婚後はずっとロサンゼルスに住んでおられたそうです。

奈良原一高「アメリカ・インディアン村の二つのゴミ缶」〈消滅した時間〉より(1972年)

1931年福岡県出身の奈良原一高は、日本のみならずヨーロッパやアメリカなど広く海外にも活動範囲を広げ、1972年にはModern Photography誌の「世界の32人の偉大な写真家」にも選ばれました。異次元の世界に踏み込んだようなこの写真は、撮影のためのセットではなく、街頭にあったゴミ缶を撮ったものだそうです。どこか現実離れした感覚に襲われる魅力的な写真でした。

桑原史成「”生ける人形”とも言われた少女」〈水俣〉より(1966年)

1936年島根県津和野町出身の桑原史成は、日本を代表するフォトジャーナリストのひとりです。大学および専門学校を卒業した1960年、23歳の桑原は水俣病によって「生きることの自由を奪われ、廃人にされた患者、生活権を奪われ窮状の漁民の生活の記録」に焦点を絞って撮影に臨みました。展示されているのは、桑原のデビュー作であり、代表作ともなった『水俣』に収録された1枚で、もの言わぬ少女のまっすぐな瞳、長く美しいまつげが印象的です。多くの被害者やその家族にとって写してほしくないという気持ちが強いなか、お互いの信頼関係がなければ決して撮影できなかった写真だと思います。

こちらは、「第5章 1980年代~ 新たな展開と現代アートとしての広がり」の作品です。

長倉洋海「一人、山上で本を読む戦士マスード アフガニスタン」1983年

長倉洋海は1952年北海道釧路市生まれ。フォトジャーナリストとして世界の紛争地を渡り歩くなかで、1983年からは、「パンジシールの獅子」と呼ばれ、ソ連やタリバンとの戦いを続けた司令官マスードと行動を共にし、マスードが亡くなるまで17年間にわたり友人として交流を続けました。マスードは生涯戦闘に明け暮れながらも、常に穏やかで誰にでも優しく接し、本や詩を読むことが大好きな敬虔なイスラム教徒だったそうです。つかの間の休息、山の斜面の草むらに寝転がって一心に本を読むマスード。その穏やかな人柄が伝わってくる1枚でした。

「自然写真(ネイチャー・フォト)の系譜」にも印象的な作品が多く展示されていました。

田淵行男「初冬の浅間 黒斑山の中腹より」1940年

1905年鳥取県出身の田淵行男は、日本を代表する山岳写真家で著名な高山蝶研究家でもあり、「安曇野のナチュラリスト」と呼ばれました。この写真は、冬の黒斑山の山麓を驚くほどリアルに切り取った迫力のある作品です。

緑川洋一「瀬戸内海・島と灯台」1962年頃

緑川洋一は、1915年岡山県出身で本業は歯科医。故郷の眼前に広がる瀬戸内海の写真を撮り続けて、アマチュア写真家ながら国内外から高い評価を受けました。 夕日を浴びて、複雑で微妙なグラデーションを見せる海を背景に浮かぶ島や舟、灯台のシルエット。「色彩の魔術師」とか「光の魔術師」と呼ばれたというのも頷ける作品です。撮影日和になると「臨時休診」の札を掲げ、歯科医院を休んで撮影に出かけることもしばしばあったというエピソードも、どこか微笑ましく感じられます。

前田真三「麦秋鮮烈」1977年

前田真三は1922年東京都出身の写真家。上高地、奥三河、富良野(美瑛・上富良野)などの風景写真・山岳写真を数多く撮影しました。 この写真は、麦畑が広がる北海道美瑛の丘。暗く黒い夕立雲が垂れ込めるなか、落日間際の太陽が雲間から麦畑を照らし出した一瞬をとらえたもので、タイトルのとおり「鮮烈な」印象を与える作品です。

星野道夫「夕暮れの河を渡るカリブー」1988年頃

星野道夫は1952年千葉県出身。19歳のある日、星野道夫は古書店で手にした海外の写真集『ALASKA』に掲載されたエスキモーの村「シシュマレフ」の写真に魅せられます。矢も盾もたまらずその村の村長宛に出した手紙に、なんと半年後その返事が届きました。これを頼りにアラスカに渡った星野道夫は、夢にまで見たシシュマレフ村でひと夏を過ごします。このときの経験が、後の星野道夫が誕生する契機となりました。 星野道夫の1枚は、第15回木村伊兵衛賞を受賞した写真集『アラスカ―極北・生命の地図』の表紙を飾った写真です。 星野道夫は43歳で非業の死を遂げるまで、極北の自然とそこで生きる野生動物、人々の暮らしを撮り続け、私たちにメッセージを送り続けました。写真集だけではなく彼が残した多くの著作には、深い洞察力や瑞々しい感性、生きるものに対する限りない愛情が、惜しみなく注ぎ込まれているように感じられます。

北九州市立美術館分館の「フジフイルム・フォトコレクション~日本写真史をつくった101人『私の1枚』」は、会期が延長となり、7月26日まで開催されています。興味のある方はお出かけになってみてはいかがでしょうか。 前回紹介したゼンリンミュージアムも同じリバーウォーク北九州ですので、1ヵ所で美術館・博物館めぐりが楽しめます。またリバーウォークでは、ぜひ5階のルーフガーデンにも足を運んでみてください。リバーウォーク北九州の斬新なデザインや小倉城の眺めは一見の価値がありますよ。 20Photo2.jpg

【北九州市立美術館分館】
・場所: 北九州市小倉北区室町1-1-1 リバーウォーク北九州5階
・問合せ: 093-562-3215
・URL: http://www.kmma.jp/bunkan/
・開館時間: 10:00~18:00(会期中無休)
・料金: 一般 1000円、高大生 600円、小中生 400円


2020年7月19日

こんにちは、「地球の歩き方」福岡特派員のDukeです。今日は、北九州市に本社を置く住宅地図のトップメーカー「ゼンリン」が運営するゼンリンミュージアムを紹介します。
ゼンリンミュージアムは、国内外から収集した貴重な資料である古地図や説明パネルなど約120点を展示する「歴史を映し出す地図の博物館」で、本来は「地図の日」の4月19日(伊能忠敬が最初の測量を行った日)に合わせて開館する予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大のため延期となり6月6日にオープンしました。
今回、「地球の歩き方」福岡特派員ブログへの掲載を快くご承諾いただき、展示資料の詳しい説明や時代背景、地図の楽しみ方、地図を通して伝えたい思いなどについて詳しく解説していただきましたので概要を報告します(写真撮影についても、特別に許可をいただきました)。

ゼンリンミュージアムはリバーウォーク北九州14階にあり、国道199号線(勝山通り)側の朝日新聞西部本社入口から入ります。 20Zenrinmusium01.JPG

《ミュージアムのコンセプト》
古来から人類が作ってきた地図は、人々の営みや当時の世界観を映し出すもので、1枚の地図の向こうには、有史以来人類が辿り織りなしてきた歴史があります。ゼンリンミュージアムでは、単に地図を読み取るだけではなく、その先にある人類の歴史物語に思いを馳せることで、地図の楽しみやおもしろさを伝えることを念頭に展示が行われています。このため、Zキュレーターと呼ばれる5人のスペシャリストが館内に常駐し、地図が作成された意義や時代背景などについて説明を受けることができるそうです(ただし現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止のためZキュレーターによる展示説明は中止されています)。

《イントロダクション》

初期の地図は必ずしも事実や実測に基づくものではなく、不確かな伝聞やその時代の世界観に基づいて世界地図が作成されていました。地図は文字よりも歴史が古く、紀元前700年頃に作られた「バビロニアの世界図」が現存する世界最古の地図と言われています。この「バビロニアの世界図」からミュージアム見学はスタートします。この時代は人々が認識していた世界が狭く、目で見える範囲のものが世界のすべてであり、平面の端には「果て」があるとする円盤型世界観に基づいていました。
そのあと、古代ギリシャ時代になるとより科学的な地球球体説が唱えられ、ローマ時代を経て地理学は急速な進歩を遂げます。2世紀半ばにプトレマイオスが著わした『ゲオグラフィア』の世界地図には、アフリカが赤道付近まで、東方はインドより先のマレー半島まで描かれていました。
しかし、キリスト教が広まるにつれて地球球体説は衰退し、宗教的世界観により著しく簡略化された地図(TO図)が普及します。この時代、地理学は後退を余儀なくされました。

《第1章 世界の中の日本》

西洋人が描いた日本地図の変遷を通じて、世界の中での日本の位置づけを考察するコーナーで、最も見ごたえのある展示品がずらりと並んでいます。
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マルコポーロの『東方見聞録』で日本は「黄金の国ジパング」として紹介されますが、西洋において日本が単独で地図に描かれたのは、15世紀から始まる大航海時代を経て、1528年、イタリア人地図製作者ボルドーネによる「日本図」が最初です。ただしこの図は、想像によって単に細長い島として描かれたもので正確性はありませんでした。その後(1543年)、ポルトガル船の種子島漂着以降、キリスト教布教活動や南蛮貿易を通じて、想像ではなく実在の国「ジパング」が世界に知られるようになり、世界地図に描かれるようになりました。
こちらは、オランダのリンスホーテンによる『東方案内記』に収録された東アジア図(1995~96年)。
当時、ヨーロッパの東方貿易を独占していたポルトガルの海図(機密情報)を写したものと伝えられています。『東方案内記』はヨーロッパ各地で出版された結果、予想されたほどにはポルトガルの支配が及んでいないことが明らかとなり、オランダ・イギリスによるアジア進出が活発化するきっかけとなりました。日本は地図の左上部分、エビのような形で描かれています。
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こちらも同じ時期に、ベルギーのアブラハム・オリテリウスが刊行した『世界の舞台』増補版に掲載された「日本図」で、西洋で初めて本州・四国・九州が比較的正確に描かれた地図と言われています。しかしこの時代、日本の北方領域はまだ未知の世界でした。
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1605年刊行のパウルス・メールラ『Cosmographia』に収録された両半球世界図。極東に日本が描かれていますが、それと併せて、枠外にリンスホーテン「東アジア図」の日本地図が複写されています。
日本では関ヶ原の戦いが終わり、江戸幕府が誕生(1603年)して間もない頃の地図ですが、マゼランの世界周航(1519~22年)によってヨーロッパの世界観は大きく変わり、南北米大陸やマゼランにちなんだ未知の南方大陸”MAGALLANICA”などが記されています(オーストラリア大陸は未発見のため描かれていません)。当時の西欧諸国と日本の世界観の隔たりが感じられる地図です。
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16世紀後半、2年間日本に滞在したポルトガル人、イグナシオ・モレイラが鹿児島から京都まで測量し、各地の大名から情報を集めて作成した「日本図」(1617年)で、世界で初めての実態に近い日本地図と言われています。これは、モレイラの地図を基に作られた銅版画ですが、結局企画された出版物が未刊のままとなったため、世界で1点しか見つかっていない貴重な資料だそうです。
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西洋で出版された書物なども、ケースの中に展示されています。
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この後、江戸幕府によるキリスト教禁教令や鎖国政策によって、ヨーロッパは日本の情報源を失い、地図はモレイラの「日本図」を頂点として、次第に正確性を失っていきます。
イギリスのロバート・ウォルトンが出版した「アジア図」(1657年)。地図の周囲には、当時の東方貿易の重要拠点やキリスト教宣教師の活動地であった10都市の民族と都市の鳥瞰図が装飾的に描かれています。
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オランダ人地図出版者ヘンドリック・ドンケルが製作した「東インド諸島海図」(1664年頃)。オーストラリア大陸の東側やニュージーランド、北海道を含む日本の北方領域はまだ地図上の空白部分となっています。
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《第2章 伊能図の出現と近代日本》
19世紀初め、その正確性で世界を驚かせた伊能図とその果たした役割について展望するコーナーです。
江戸時代後期、幕府の命を受けた伊能忠敬は、17年の歳月をかけて全国測量を行い、日本で初めて実測に基づく正確な日本全図を完成させました。当然ながら、伊能図は国防上の観点から機密扱いとされます。
1825年、オランダ商館付医師シーボルトは、この伊能図を持ち出そうとしたことから国外追放され、これに関連した幕府天文方・書物奉行の高橋景保はじめ十数名が処分されるという大事件に発展しました(景保は獄死)。しかし、伊能図の写しを持ち出すことに成功したシーボルトは、それを基に全7巻の日本研究書『日本』を刊行し、西欧において日本が知られるきっかけを作ります。
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー提督は、『日本』に収録された伊能図を研究し周到な事前準備を行った上で、1853年に浦賀に来航し江戸幕府に開国を迫りました。
幕府に代わって開国政策を引き継いだ明治政府は、富国強兵をスローガンに近代化を推し進めますが、ここでも伊能図は、近代日本の世界観を支える重要な役割を果たしました。
(床の地図は、『伊能中図 大日本沿海輿地全図 原寸複製』東京国立博物館所蔵)
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このコーナーには、シーボルトの『日本』に収録された「蝦夷と日本領千島絵図」や「九州図」、ペリー提督の日本遠征を記録した『ペリー提督日本遠征記』に収録された海図などが展示されていましたが、ワクワクしながら資料に見入ってしまったため、写真は撮り忘れました。伊能忠敬が残した足跡やその後の歴史を、ぜひご自身の目でご確認ください。

《第3章 名所図会・観光案内図・鳥瞰図の世界》

日本では、江戸時代になって庶民の間で旅行が盛んになりました。お伊勢参りに代表される寺社参詣などで人気を博したのが、街道図や道中記、名所図会などで、旅行案内書としての役割を担っていたと考えられます。こうした案内書に掲載される地図では、「正確性」よりもむしろ、もう一つの重要な要素である「実用性」が重視されるようになりました。第3章ではこのような背景から、地図上にさまざまな情報が掲載され、遠くまで見渡すような鳥瞰図の技法、独特の世界観が発達していく様子を俯瞰します。

《多目的展示室》

イントロダクションコーナーを抜けたところにある多目的展示室では、年間2~3回ほどの期間限定展示のほか、ギャラリートークや講演などが開催されます。常設展示品以外の収蔵品も随時公開されるとのことです。細部はウェブサイト上で周知されると思いますのでご確認ください。
現在は、常設展示「第1章 世界の中の日本」の歴史的背景として、日本図が作られていく過程で影響のあった「日欧交流」を、「貿易」と「キリスト教布教」の観点から紹介する拡張展示が行われています。

ミュージアム副館長でZキュレーターの新井啓太さん(モレイラの日本図の前で)。地図を通して、人々の営みや当時の世界観を感じてほしいと熱く語っておられたのが印象に残りました。 20Zenrinmusium09.jpg

入館者には、ゼンリンミュージアムのリーフレットやそれを挟むチケットホルダーなどのグッズがプレゼントされます。
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こちらは、「地図デザインに親しむ空間」というコンセプトの下、地図デザイン商品を販売する「Map Design GALLERY」(リバーウォーク北九州1階)。グッズだけではなく、16~19世紀に作られた西洋製の日本地図などのレプリカを購入することもできます。
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地図デザインのポストカード、トートバッグ、マグカップやステーショナリーをはじめ、ここでしか入手できないグッズも取り扱っており、見て回るだけでも楽しいショップです。私も、エンゲルベルト・ケンペル作「日本地図」のポストカードと、ドンケル作「東インド諸島海図」のトートバッグを買って帰りました。
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年代を感じさせる地図には、何ともいえないデザインの魅力がありますね。
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北九州エリアグッズのコーナーもありました。
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【ゼンリンミュージアム】
・住所: 北九州市小倉北区室町1-1-1 リバーウォーク北九州14階
・問合せ: 093-592-9082
・URL: https://www.zenrin.co.jp/museum/
・開館時間: 10:00~17:00(最終入館 16:30)
・休館日: 月曜(祝日の場合は翌日。このほか年末年始など臨時休館あり)
・入館料: 1000円(税込、保護者同伴の小学生以下は無料)
※新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、当面は入館者数が制限されます。
・アクセス: JR西小倉駅から徒歩5分、JR小倉駅から徒歩10分/
 バス(西鉄、市営バス)「室町リバーウォーク」下車すぐ

【Map Design Gallery】
・住所: 北九州市小倉北区室町1-1-1 リバーウォーク北九州1階
・電話: 093-482-3510
・営業時間: (月~木)10:00~20:00、(金~日、祝)10:00~21:00
※ただし、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当面は10:00~19:00に短縮営業


2020年6月21日
2020年5月26日
2020年5月13日
2020年5月 9日
2020年5月 1日
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    旅行、温泉、グルメが大好きな元転勤族。北は青森から南は沖縄、米国アルバカーキやハワイを含めると、ちょうど10か所での生活を体験しました。縁あって福岡県北九州市に落ち着いて、はや10年。福岡県は過ごしやすい気候と豊かな自然に恵まれ、水炊きやもつ鍋、豚骨ラーメンや北九州発祥の焼きうどんなど、美味しいものもたくさんあります。県外の方はもちろん、地元の方にも楽しんでいただけるよう、福岡・北九州の旬な情報を発信していきたいと思っています。併せて、「ルイガノ旅日記」もご覧いただければ幸いです。 DISQUS ID @disqus_l7uXZ8XrgH

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