令和ゆかりの太宰府天満宮へ

公開日 : 2020年01月02日
最終更新 :
筆者 : Duke

こんにちは。「地球の歩き方」福岡特派員のDukeです。令和初めての正月を迎えた今年、まず最初は、天神さま(菅原道真公)をお祀りする太宰府天満宮を紹介します。学問の神様として慕われる天神さまには、年間約1000万人の参拝者が訪れます。とりわけ「令和」の元号がかつての太宰府長官、大伴旅人が催した歌会に因んで選定されてからは、日本各地のみならず海外からも訪れる人が後を絶ちません。

にぎやかな参道を突きあたると目につくのが銅製の御神牛。牛の頭を撫でると知恵を授かると言われているので、御神牛の頭部は金色に輝いています。

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右大臣に上り詰めた道真公は、それを妬んだ時の左大臣 藤原時平の策略によって太宰府に左遷されました。都から大宰府に出発する道真公を、時平配下の刺客が襲ったとき、かわいがっていた牛が刺客の腹を角で突き刺して命を救ったそうです。また、道真公は丑年生まれで、逝去されたのも延喜3年(903年)2月25日の丑の日。太宰府政庁からご遺体を牛車で運んだ折、牛が伏して動かなくなった場所に埋葬され、後にその場所に太宰府天満宮が造営されるなど、道真公と牛に纏わる興味深い故事が数多く伝えられています。そんな理由から太宰府天満宮には多くの御神牛が奉納されています。このほかに、境内に10体あるそうですから、探してみるのも面白いかもしれませんね。

それでは、石造り(花崗岩製)の大鳥居を抜けて境内へと進みましょう。この日はあいにくの雨でしたが、落ち着いた風情があってそれもまた良いものでした。

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心字池にかかる最初の太鼓橋。心字池にかけられた3つの橋は、境内への入口側から「過去」、「現在」、「未来」を表しています。これらの橋を渡ることで過去から未来までの邪念を捨て、池の水の上を通ることで心身を清めて、神さまの下へ向かう準備を整えるという意味があるのだそうです。

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入母屋造りの威風堂々たる楼門。二重門と呼ばれる二層の屋根が伸びやかに広がって流麗な印象を受けます。

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また、ほかに例を見ない大きな特徴は楼門の表側と内側で造りが異なることです。こちらは本殿側(内側)から見た楼門。屋根が一層の一重門となっていますね。

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919年(延喜19年)、元々は道真公の墓所だった場所に本殿が造営されましたが、火災により何度か焼失しました。現在の本殿は1591年(天正19年)、時の領主であった小早川隆景が5年の歳月をかけて再建したもの。流れるような屋根の中央前部に唐破風(からはふ)が設けられているのが特徴です。檜の皮を竹釘で留めた檜皮葺(ひわだぶき)の屋根となっています。

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............東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ............

太宰府に左遷された道真公を慕って、都から一夜のうちに飛んできたと伝えられる飛梅。花が咲いていなくても、その枝ぶりの見事さがよくわかります。

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境内で一番早咲きの飛梅は、例年2月上中旬には満開になります(写真は過去に撮ったもの)。

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太宰府天満宮や道真公に纏わる文化財を所蔵・展示する宝物館。時間があれば、参拝のあと立ち寄ってみたいものです。

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中央は、飾金具をつけた銅板に描かれた『板絵菅公像(複製)』

右は、菅原道真公の御佩刀(みはかし:貴人の腰に帯びた刀を敬ったいい方)『毛抜形太刀』で、国の重要文化財に指定されています。

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道真公直筆と伝えられる『紺紙金字法華経(巻一)』と遺品の『龍牙硯(りゅうげのすずり)』

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さすが学問の神様、均整のとれた美しい筆致ですね。

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室町時代に描かれた『束帯天神像』。右上部に貼られた色紙には「東風吹かば............」の和歌が書かれています。

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吉嗣梅仙『天満宮境内絵図』

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古くから世の崇敬を集めていた天神さまには、多くの有力大名からの奉納もあったそうです。右から豊臣秀吉、小早川隆景、黒田如水(官兵衛)、黒田長政。

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刀剣類も数多く展示されています。こちらは、平清盛の長子、平重盛から奉納された太刀『豊後国行平』。

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1863年(文久3年)8月18日の政変(薩摩藩や会津藩を主体とする公武合体派が、長州藩や三条実美ら尊王攘夷派を京都から追放した事件)で、都落ちした三条実美ら五卿と呼ばれた人たちは太宰府天満宮で3年間過ごしたのだそうです。右の甲冑は、帰京にあたって実美が神の加護に感謝して天満宮に奉納した『色々威(おどし)具足』。左は同じく実美が、太宰府滞在間に交流のあった医師 陶山一貫にお礼として送った『藍色威具足』。

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730年(天平2年)、九州全域の政治経済・軍事・外交を取り仕切る太宰府政庁の長官として赴任していた大伴旅人が開いた梅花の宴。

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梅の花を題材に32首の歌が詠まれたこの宴の序文に、「令和」の由来となった「時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」の一文が記されています。

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中国 唐の時代に張楚金によって書かれた類書『翰苑(かんえん)』(複製)。全30巻あったものが散逸し、ここ太宰府天満宮に最終巻及び叙文のみが残っています。(国宝)

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宝物館の展示物は写真撮影が認められていましたので、このほかにもたくさん撮ってきました。写真を見ながら後で振り返ることができますし、いろいろ調べるにあたっても便利なことが多かったです。

西鉄太宰府駅から天満宮に至る参道には、多くのみやげもの屋や甘味処が立ち並び、名物の梅が枝餅を焼く香ばしい匂いが漂っています。梅が枝餅の店はたくさんありますが、「かさの家」にはいつも行列ができています。

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こちらは、最も天満宮寄りの寺田屋。梅が枝餅を焼く熟練の手さばきを見ているだけで退屈しません。

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食べ歩きやお持ち帰りももちろんおいしいのですが、多くの店はそれぞれ特徴ある喫茶席を設けているので、一番のおすすめはお茶と一緒に店内で食べること。何と言っても、焼きたての香ばしさをしっかり味わえますし、一服のお茶と梅が枝餅の取り合わせは最高です。

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令和2年が明けたばかりですので、正月の参拝客で混みあっていると思いますが、時間とともに少しずつ落ち着いてくるでしょう。太宰府天満宮では200種、約6000本の梅が咲きますので、梅の時期に出かけるのが一番だと思います。本殿前の飛梅は早咲きですので1月下旬から2月下旬、そのほかの梅は2月中旬から3月中旬に見ごろを迎えるとのことでした。

ちょうどその時期、九州国立博物館では『三国志』に続く次の展覧会、「フランス絵画の精華(2月4日~3月29日)」を開催していますので、それに合わせて出かけるのもいいかもしれませんね。

筆者

特派員

Duke

縁あって福岡県北九州市に落ち着いて、はや15年。県外の方はもちろん、地元の方にも楽しんでいただけるよう、福岡・北九州の旬な情報を発信していきたいと思っています。

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