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イタリア/ジェノバ特派員ブログ 浅井まき

イタリア・ジェノバ特派員が現地からヨーロッパ地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


リグーリア州のなかでも指折りの景勝地で、ディズニーシーのモデルにもなったリゾート地として人気のポルトフィーノですが、そこへ至る手段はバスまたは船、徒歩のみと少々不便な場所でもあります。(ポルトフィーノ観光に関しては、こちらの記事もご覧ください)
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最も便利な手段はバスで、サンタ・マルゲリータ・リグレ(Santa Margherita Ligure)駅で電車を降り、バスに乗って崖に張り付くような細い道路を通ってポルトフィーノへ向かいます。チケットはタバコ店などで買えば往復5ユーロです。
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(隣町のサンタ・マルゲリータ)


ところが、サンタ・マルゲリータの駅前からポルトフィーノまでを結ぶバスが通行している唯一の道路が現在補修、拡張工事のため現在寸断されている状況です。かなり大規模な工事のため、少なくとも4月いっぱいはこの状態が継続するものとみられます。
そのため、バスの運行がかなり変則的となっておりますので、ご注意ください。


運行状況

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(現在のバス時刻表)

  • 平日の運行は正午と夜間のみ

  • 平日(土曜含む)は道路工事のため日中は完全に通行止めとなっており、バスの運行は6~8時、12~13時および17時以降の便を除いてすべて休止されています。


  • 日曜日は本数も多い

  • 日曜日は工事がお休みのため、1時間に2本程度の運行があります。


  • バスの乗り換えが必要です

  • 駅前から発射するバスはポルトフィーノへ続く道路の途中まで運行していますが、一部区間は完全に通行止めとなっているため、500mほどの通行止め区間を徒歩で通過し、別のバスに乗り換えなければなりません。
    また、乗り換えるバスは定員21名の小型バスであり、混雑している場合は1本後のものを待たなければならない可能性もあります。




    代替手段

    Pic.38-3.JPG (船の時刻表)

    バスでの到達は少々困難ですが、サンタ・マルゲリータから船でポルトフィーノに向かうことが可能です。
    本数が限られていることと、値段が高めであるのがネックではありますが、快適かつ確実にポルトフィーノへ向かう手段としておすすめです。ただし、天候によっては運休の可能性があります。

    <料金>
    サンタ・マルゲリータ⇔ポルトフィーノ
    片道:7ユーロ
    往復:12ユーロ


    また、道路が通行可能な日曜日であれば、徒歩でポルトフィーノへ向かうのもおすすめです。約1時間半と長い道のりではありますが、道中は青く澄んだ海を存分に眺めることができ、今の時期は風もさわやかで心地よいです。また、途中のいくつかの入江もポルトフィーノに負けず劣らずの美しさで、多くの人がポルトフィーノまでの散策を楽しんでいます。





    バスの通常運行再開の際にはバス会社よりアナウンスがあるかと思います。近日中にポルトフィーノ観光を予定されている方は、十分に時間に余裕をもってお越しください。


    2019年3月25日

    前回の記事ではヴェネツィアをご紹介しました。近代化、産業化に邁進し経済的中心地のひとつとなったジェノバと、昔の面影を維持し、世界的観光地となったヴェネツィア。現在では全くカラーの違う2都市ですが、かつては強力な海洋共和国同士、激しいライバル関係にありました。


    ライバル関係の始まり

    中世イタリアの4大海港都市といえば、アマルフィ、ピサ、ジェノバ、ヴェネツィアです。最初に頭角を顕したのがアマルフィ、そのアマルフィを押さえて台頭したのがピサ。そしてピサとの死闘の末西地中海の覇権を握ったのがジェノバでした。一方のヴェネツィアはビザンツ帝国の支配下から徐々に力をつけ、東地中海を牛耳るようになっていきます。2国とも目指すところは同じ、アジアからもたらされる香辛料や絹、染料、薬品などの貴重な商品。商業覇権をめぐって必然的にお互いがお互いにとって目の上のたんこぶになっていきました。
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    (コンスタンティノープルを攻略する第4次十字軍。ドメニコ・ティントレット画。ヴェネツィア、ドゥカーレ宮殿、大評議会の間)


    ヴェネツィアが1204年の第4次十字軍を主導してビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを征服した半世紀後、ジェノバはビザンツ帝国の亡命政権のひとつであるニカイア帝国皇帝ミカエル・パレオロゴスと結び、1261年にコンスタンティノープルの奪還を手助けします。その見返りに、ヴェネツィアが十字軍で手に入れた経済利権をそっくり手中にし、さらにコンスタンティノープルのペラ、ガラタ地区に”ほぼジェノバ”と言っていいような特権的な居住区を認められることとなりました。
    この出来事は両国の敵対関係に火をつける決定打になりました。13世紀から14世紀にかけて、大きくわけて4回、ジェノバとヴェネツィアは激しい全面戦争を繰り広げます。





    組織のヴェネツィアと個人プレーのジェノバ、じつは似た者同士?

    ともに「静謐なる(Serenissima)」という二つ名をもつジェノバとヴェネツィアはどちらも商人の国。自由な経済活動を尊重し、権力の集中をアレルギー的に嫌う点では似た者同士です。ただし、互いにけん制しあいつつ、ヴェネツィアという国家のもと”公的”利益を最優先としていたヴェネツィアに対し、ジェノバでは徹底した個人主義のもと各閥族が互いに力で周囲を抑え込もうとした結果バランスが取れていたという点では大きな違いがあります。14世紀には両国とも終身ドージェを国家元首とする共和制を敷きますが、ヴェネツィアでは内紛というものがこれといってなかった一方、ジェノバでは常に内紛状態で、終身制がとられた2世紀の間ドージェの”任期”を満了できたのはたった4人だったとか…。
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    (ヴェネツィアのドージェ、マリン・ファリエルは有能な人物であったが、権力の集中を目論んだため抹殺され、ドゥカーレ宮殿大評議会の間にある肖像画も黒く塗りつぶされている)


    ジェノバ‐ヴェネツィア戦争は、実際の戦闘においては多くの局面でジェノバが優勢でした。内紛ばかりでまとまらないジェノバながら、こと対ヴェネツィアとなれば別で、有能な指揮者のスタンドプレーもあいまって東地中海のヴェネツィアの拠点を次々と攻略し、1298年のクルツォラの海戦では(人的、物的ダメージをみれば双方痛み分けといえるものの)数的有利にも関わらず大敗を喫したヴェネツィアは、しばらくこの敗戦を引きずって”ジェノバ恐怖症”から立ち直れなかったといわれるほど。ちなみに、このクルツォラの海戦で捕虜としてジェノバに連れていかれたヴェネツィア人の中にはマルコ・ポーロもおり、彼はジェノバの牢獄の中で「東方見聞録」を口述しています。
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    (ジェノバ、サン・ジョルジョ宮にある記念プレート。マルコ・ポーロはこの宮殿の牢獄に幽閉されていたとされる)


    戦いでは連戦連勝を挙げていたジェノバですが、戦争の後には戦費の回収をめぐって揉めに揉めるのが毎度のこと。その混乱に乗じてヴェネツィアは少しずつ拠点を回復していき、元の木阿弥に戻るという流れの繰り返しでした。
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    (あのブロンズの馬を…)


    2国の最後の直接対決となったのが1379‐80年のキオッジャの戦いです。ジェノバはヴェネツィアの目と鼻の先にあるキオッジャを攻略。水陸から包囲し、ヴェネツィアをギリギリまで追いつめます。ヴェネツィアはカルロ・ゼン率いる補給隊が間もなく帰還するという一縷の望みを持っていたものの、いつ来るかわからない状況ではなすすべなく和解を申し出ますが、ジェノバ側は「あのブロンズの馬を持ち帰るまで応じない」と突っぱねます。


    ヴェネツィアのドージェ、コンタリーニがいよいよ降伏に踏み切ろうとしたそのとき、待ち焦がれた補給隊が帰還し、戦況は逆転。ヴェネツィアの勝利に終わるという非常にドラマチックな展開となりました。この戦い以降、東地中海にはより強力なオスマン・トルコが進出してきたこともあり、両国の直接対決は起こっていません。しかし、潜在的なライバル意識は常に持ち続けていたようで…。





    ヴェネツィアのカーニバルに対抗せよ!ジェノバの”らしくない”挑戦

    “祝祭都市”との異名ももつヴェネツィアは、とにかくお祭りに気合を入れている都市として昔から有名でした。その最たるものがカーニバルで、仮面をつけ仮装をして街を練り歩きお祭り騒ぎをするという風習は16世紀には既に有名だったそうです。それに参加すべく人が集まるのも当時からで、ジェノバとしてはあまり面白くありませんでした。
    もともと、ジェノバはお祭りにあまりお金をかけず地味に済ませてしまうお国柄。カーニバルも本来は競走など多少のイベントがあるという程度の地味なお祭りでした。16世紀末、ヴェネツィアのカーニバルに対抗すべく、貴族や識者らの主導により行われるようになったのが「カッロセッツォ(Carrossezzo)」というイベントです。仮面をつけ着飾った人々がパレードを行い、ロッリの屋敷で豪勢なパーティを行うというイベントは当時大評判となりますが、ジェノバ共和国なきあと19世紀半ばには廃れてしまい、現在では小さなイベントが残っている程度となっています。
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    (2017年に行われたカッロセッツォ)





    今でもライバル?

    先述のとおり、現代ではジェノバとヴェネツィアは全く性質の異なる都市で、対抗するような点も特にない…ように見えます。しかし、ジェノバの人と話しているとやはりどこかで意識しているところがある様子が垣間見えます。
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    現在、両国が争う数少ない機会が毎年開催される旧海洋共和国対抗のレガッタ大会。アマルフィ、ピサ、ジェノバ、ヴェネツィアの4都市が手漕ぎボートの競争を行うイベントですが、やはりというか、日頃からボートで生活しているヴェネツィアが有利のようで、圧倒的な優勝回数を誇っています。ただし一昨年はジェノバが優勝し、ジェノバで行われた昨年はゴール直前でアマルフィに優勝をさらわれたものの、ジェノバは2位を記録。しかしジェノバっ子にとって最も重要なのは”ヴェネツィアに勝った”ということのようで、「見た?ヴェネツィアなんかウチに全然追いつけなかったんだったんだぞ」と嬉しそうに話す人々の姿が見られました。



    2019年3月12日

    皆さまこんにちは。ようやく暖かくなってきましたね。日本では花粉の季節でしょうか…幸いなことにイタリアではあまり花粉は飛んでいないようなので、花粉症持ちの方はイタリアにしばし避難されるのもいいかもしれません。

    さて、週末を利用してイタリア半島の東側、ヴェネツィアに行ってきました。水の都ヴェネツィアの魅力とジェノバとの関係を2記事でお伝えしようと思います。
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    ラグーナ(潟)に浮かぶ絶景の街

    ヴェネツィアといえば世界でも指折りの観光地。いつでもたくさんの観光客でにぎわっています。3月5日に有名なカーニバルが閉幕したばかりで比較的人出は落ち着いていたようですが、それでもかなりの混雑でした。夏季には市内への入場が制限されることもあるそう。
    人々が必ず訪れる場所がサン・マルコ広場です。


    ナポレオンが1797年にヴェネツィア共和国を降伏させ上陸した際、「世界一美しい広場」と称したと言われています。この広場はヴェネツィアで最も海抜の低い場所であるため、冬の風物詩であるアックア・アルタ(高潮)の際は真っ先に水浸しになります。
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    (創業1720年、世界最古のカフェ)


    広場には土産物や工芸品を売る店のほか、多くの飲食店が並んでおり、なかでもフローリアン(Florian)は最も歴史あるカフェとされています。少々お値段は張りますが、美術館のような内装の店内で優雅なひと時を過ごすのもおすすめです。





    ヴェネツィアの心臓、ドゥカーレ宮殿

    サン・マルコ広場にそびえる宮殿のひとつ、ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)はやはり必見です。ヴェネツィア共和国時代に国会議事堂、ドージェ(国家元首)公邸、官公庁、裁判所を兼ねていた建物で、ヴェネツィアの顔というべき豪華絢爛な内装を見ることができます。
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    圧巻はなんといっても大評議会議場にあるティントレット(TintorettoことJacopo Robusti)作の「天国」。広い壁一面に描かれた大作は、実はコンペでは2位だったそう。1位を取ったのはパオロ・ヴェロネーゼの作品でしたが、彼はいざ壁画制作にとりかかる前に死去してしまったため、ティントレットに一任されることになったとのことです。
    ドゥカーレ宮殿は通常ルートも非常に魅力的ですが、「秘密のルート(Itinerari segreti)」ツアー(要予約)に参加するのもおすすめです。ガイド付きのこのツアーでは通常ルートで見られる”表の顔”の裏側に息づくヴェネツィア共和国の事務方の執務室、そして共和国に潜んでいた内通者らを尋問したとされる拷問室、宮殿の屋根裏に広がる秘密の牢獄などを見て回ることができます。もちろん、ツアー後は通常ルートを回ることもお忘れなく。裏方を見てからの宮殿の姿は少し違って見えるはずです。





    運河沿いには魅力がたっぷり

    「ヴェネツィアを訪れる観光客はサン・マルコ広場を見て帰ってしまう」とよく言われますが、実際のところ市内の人出は相変わらずながら、ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ寺院以外の博物館等各施設は「あれだけ人がいたのに…」と思うほど、意外に空いていることが多いです。そこで、ここはおすすめという見どころをいくつかご紹介します。


  • カ・ドーロ(Ca’ d’Oro)。ヴェネツィアで最も美しい”黄金の館”

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    “Ca‘“とはヴェネツィア方言でcasa(家)のこと。カ・ドーロは直訳すると”黄金の館”という意味です。その名にふさわしい優美で豪奢な造りが特徴で、大運河沿いの邸宅の中で最も美しいと言われています。内部は博物館になっていて、ティツィアーノが若い頃に兄弟子ジョルジョーネとともに手がけたとされるドイツ人商館の壁画の一部が展示されています。テラスからの写真撮影もおすすめです。


  • アカデミア美術館(Gallerie dell’Accademia)。謎多き画家の謎の作品は要チェック。

  • Giorgione, The tempest

    (ジョルジョーネ画「嵐」/ヴェネツィア、アカデミア美術館所蔵。パブリックドメイン。<ウィキメディア・コモンズより引用>)


    アカデミア美術館はティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、ベッリーニ、カルパッチョらおなじみの”ヴェネツィア派”作品を数多くみられる名所です。私のおすすめはジョルジョーネの「嵐」という作品。ジョルジョーネ(GiorgioneまたはGiorgio da Castelfranco)はその生涯についてほとんどわかっていない夭折の画家ながら、生前から大変な人気で、ティツィアーノをはじめ多くの画家に影響を及ぼした人物です。彼の作品は高値で取引されたため精巧な贋作が多くつくられ、16世紀には既に贋作と見分けがつかなくなっていたと言われています。現在ジョルジョーネの真作と断定されている作品はわずか6点ともいわれますが、その一つがこの「嵐」です。一筋の稲光が走る、不穏な空気を感じさせる暗い空。のどかな田舎の風景の中、訝し気な視線を送ってくる裸婦と対岸に立つ男。そのテーマは全くの謎。今も多くの学者を悩ませる謎多き作品です。


  • カ・レッツォーニコ(Ca’ Rezzonico)。ヴェネツィア斜陽の時代を垣間見る。

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    カ・レッツォーニコはヴェネツィアの18世紀をテーマにした美術館です。18世紀にはかるて地中海の女王といわれた頃の力と栄光を失いつつあったヴェネツィア共和国でしたが、ヴィヴァルディらが活動し、文化面では非常に華やかな時代でした。カーニバルのどんちゃん騒ぎが半年も続いたともいわれています。そんな18世紀の華やかさを象徴する内装や調度品、絵画などが展示されています。


  • モチェニーゴ館(Palazzo Mocenigo)。衣装と香りの博物館。

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    水上バスサン・スターエ(San Stae)停留所のそばにあるモチェニーゴ館は17世紀の邸宅で、当時そのままの美しい内装はさることながら、衣装と香料をテーマとした展示が興味深いです。とくに香料については実際に香りを楽しむこともでき、繊細な細工を施した香水瓶のコレクションも必見です。
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    さて、魅力たっぷりのヴェネツィアですが、実はジェノバとは長年ライバル関係にありました。次の記事ではそんな2国の関係を解説したいと思います。


    2019年3月11日
    2019年2月27日
    2019年2月 9日
    2019年1月12日
    2018年12月25日
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      浅井まき
      大学卒業後、社会人を経て2015年渡伊。イタリア北部リグーリア州の港町ジェノヴァに住み始めてはや3年目。現在はジェノヴァ大学の大学院史学研究科に在籍。日本と大きく異なるイタリアでの大学院生生活に四苦八苦しつつ、17~18世紀のジェノヴァ共和国に関する研究を行っている。自分の専門以外にも西洋史全般、美術、現代音楽、グルメ、スポーツなどへの関心大。晴れた休日には近郊へ写真撮影に行くのが楽しみ。 DISQUS ID '@disqus_n3hiU5o4o9

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