ワーズワース、終(つい)の棲家(すみか)と永眠の地

公開日 : 2008年12月01日
最終更新 :

イギリス国内やヨーロッパを漂泊した末に、妹ドロシーと共に、湖水地方のダヴ・コテージに落ちついて妻を迎えたウィリアム・ワーズワース。その後、5人の子供たちにも恵まれ、来客も多かったのでダヴ・コテージでは手狭となり、2度の引っ越しをへて、1813年、終(つい)の棲家(すみか)となるライダル・マウント(Rydal Mount)に引っ越したのでした。そして、1850年に80歳でなくなるまで37年間をこの家ですごしました。

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ライダル・マウントは、グラスミア(Grasmere)の南西、アンブルサイド(Ambleside)に向かう途上にあります。現在、ライダル・マウントはウィリアム・ワーズワースの子孫の所有となっていて一般公開されています。16世紀にさかのぼるチューダー朝様式のダイニング、屋根裏部屋の書斎などワーズワース一家が住んでいた当時のもようをそのままに伝える屋内やワーズワース自身が設計した庭を見ることができます。(家の内部の一部は、この記事の最後でご紹介するライダル・マウントのサイトの中のこちらのページでごらんになれます。また、庭の画像は、こちら)

ワーズワースは、終の棲家となったライダル・マウントに関して次のようなことを書き残しています。わたしたちがいなくなったあと、この家がどうなっていくのだろうかと、わたしはしばしば自問する。家の正面の古い壁や石段はそのまま残っていくのだろうか。庭はどうだろう。美しい苔やシダ、野生のゼラニウムやその他の花々も根こそぎとりはらわれてしまうのだろうか。

73歳のときにイギリス王室から桂冠詩人の称号を与えられたワーズワースは、肺炎のため80歳で生涯を終えました。そして、その遺体は、グラスミアの村にある聖オズワルド教会(St. Oswald's church)の墓地に埋葬されました。

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教会の入り口に、「ようこそ」と書かれていたので入ってみました。(画像をクリックして拡大していただくと、日本語で、「ようこそ」と書いてあるのがごらんいただけるかと)

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この教会には、生前、ワーズワース一家も礼拝に通っていたとのこと。

教会の庭。

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このようなひっそりとした庭の片すみに墓地があり、ワーズワース一家のお墓も、その一隅にあります。

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手前の左手が、ウィリアム・ワーズワース(1850年没)と妻メリー(1859年没)の墓石。娘のドーラ、夭逝した子供たちキャサリンとトーマス。そして、妹のドロシーやその他の家族たちと共にワーズワースは彼がこのなく愛したグラスミアの村の地下で安らかに眠っています。

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