ゲットーに送られたユダヤ人

公開日 : 2011年12月30日
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ハノーファー市役所で、ナチス政権下にリガに送還されたユダヤ人の展示「死への送還」が開かれています。70年前の1941年12月15日、ハノーファーから1001人のユダヤ人が、現ラトビアのリガにあるユダヤ人ゲットーへ列車で連行されました。70年前のできごとを振り返って15日、ヴァイル市長が犠牲者を追悼して花を捧げ、生徒たちが市役所前の広場で1001本のろうそくを灯してユダヤの象徴であるダビデの星を作りました。

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アドルフ・ヒトラーが率いたナチ党は1933年より政権を掌握し「ユダヤ人はバスや列車に乗ってはいけない」「ユダヤ人を雇用してはいけない」など法律を定め、徐々にユダヤ人を迫害していきました。当時ハノーファーにも約50万人のユダヤ人が住んでいましたが、まさか政府が計画的に絶滅をもくろんでいるとは誰も思い至らなかったといいます。

12月15日に送還された1001人のうち、戦後生き残ったのは69人だけでした。展示会では12の家族を例に、個々人の生き様を描きました。統計ではなく、実際に人々がどのような運命を享受したのかを辿ることで、ナチスの行為の恐ろしさが浮かび上がってきます。ハノーファーから、1944年初めまでに計2174人のユダヤ人がポーランドやラトビアの強制収容所やゲットーに強制連行されました。

また1001人全員について、名前やハノーファーでの住所、送還後について列記しています。大半は「死亡日不明」になっており、アウシュビッツへ送還されて死亡した人もいました。「生き残り」は太字で書かれており、目を引きます。

送還されて二度と戻らなかったノルベルト・クローネンベルクのカバンが印象的でした。強制連行される前、雇い主に預けていったもので、写真や新聞の切り抜き、ノートなど彼にとって大事だったものがぎっしり詰まっています。彼が取りに戻ることはありませんでした。

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69人の生き残りのうち、現在も生きているのは10人だけです。15日の展示会開幕にはそのうち5人が参加しました。生き証人が減りつつある昨今、生存者の一人は「私が生き残ったのは、このできごとを多くの人に伝えるためだと思う。二度と起こってはならないことだから」と話し、アメリカから参加しました。展示は1月27日までで、入場無料です。

ドイツってすごいなあと思うのは、今でも自己の加害の歴史に積極的に取り組んでいるところ。それだけナチスという不の遺産が重いということでもあるのでしょう。ハノーファーでもオペラ広場前の一等地に、犠牲となったユダヤ人を追悼する碑があります。

ところで、このたび新潮新書より、共著『「お手本の国」のウソ』を出しました。

http://www.shinchosha.co.jp/book/610448/

海外に住む日本人ライター7人によるもので、日本でお手本とされている事柄がその国ではいったいどうなのか、現地ならではの視点でレポートしたものです。ドイツのテーマは戦争責任で「ドイツの戦後処理はうまくいっているのか」について、具体的な取り組みやその背景を探りました。他にアメリカの陪審制やフィンランドの教育法があり、ギリシアついては地球の歩き方・アテネ特派員の有馬めぐむさんが「観光」について執筆されています。

一冊で7カ国の様子がわかる盛りだくさんの内容。機会がありましたら、ご覧いただければ幸いです。

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