フランス街のオープン

公開日 : 2004年07月03日
最終更新 :

まだどんなガイドブックにも載っていないイスタンブル最新のスポットを紹介しよう。フランスズ・ソカウ(フランス街)。イスティクラル通り中ほどのガラタサライ広場から、ガラタサライ高校の裏手に周り込んだところにあるCEZAYIR通り周辺の新しい名前だ。文化・芸術の中心的存在となるべく再開発された、ピンクとクリーム色の建物と窓辺の花が美しいこの界隈は、7月1日にオープンし、4日まで続くオープニングパーティが今まさに開催中で、ガラス工房の実演だタンゴだワインの無料サービスだ写真展だとイベント目白押しでごったがえしている。

「フランス人たちが通りを丸ごと買って、フランス人街を作るらしい。」このプロジェクトが始まった当初、私の耳に入ったのは実工事を担当する職人達のそんな噂だった。事実、通りのすぐ前にあるガラタサライ高校は、オスマントルコ末期にトルコ近代化を目的にフランスのリセ教育を取り入れたエリート校で、今もフランス語で教育を行っている。近辺にもピエールロティ、サンミッシェル、ノートルダムデシオンなどフランス系学校は多い。そういうところに子供を通わせるフランス人たちが、自分たちの好みに合わせた小さなフランスを作ろうとしているのかと、私は誤解した。しかし誤解は徐々に解けた。実はフランスズソカウに出入りする職人達の多くは顔見知りだったので、彼等は工事の途中に内部を見せてくれたり、ビルのオーナーやオープン予定のカフェやレストラン、ここにアパートを買った芸術家たちの噂を聞かせてくれたし、実際プロジェクト参加や開店検討、アパート購入のために下見に訪れるトルコの著名人たちをたくさん見た。その全てがトルコ人である。フランスズ・ソカウはフランス人のためのプロジェクトではなかった。トルコ人によるトルコ人のための、イスタンブル屈指の繁華街ベイオウルにおける、文化芸術プロジェクトだったのである。何故フランスか?

ベイオウルとフランス文化は関係が深い。トルコに最初に置かれた常設の大使館はフランス大使館だったそうだ。その後、イタリア、ロシア、オランダ、ベルギー、イギリス、アメリカ、ギリシャ、ドイツなど各国大使がベイオウル、タキシム周辺にその居を構えた。これらは首都がアンカラに移った今も、そのまま領事館として残されていて、ベイオウルに異国情緒という独特の魅力を加えるのに一役買っている。19世紀かつての強大なオスマントルコの権力にかげりが見え、近代化に向けてトルコがその政策を打ち出した時、見本として取り入れたフランス式教育制度。言葉は文化を伴って、一気にイスタンブールに流れ込んでくる。オリエント急行はパリから直行で観光客を運んで来、ベイオウルの真中にある当時最新の西洋式システムを取り入れたホテル・ペラパレスがその客を一手に引き受けた。1860年から1950年ごろまで、トルコではフランス式が、言語、教育、建築、文学などからファッション、カフェに至るまで大流行していたが、その中心がこのベイオウルだというわけだ。今でも上品な老婦人だなーと思うと、フランス語で話しかけてくることがよくある。ベイオウルがその中に新しい芸術文化センターを作ろうと考えた時、そのビジュアルコンセプトの一つにベイオウルの魅力の原点、19世紀のフランス文化はふさわしかったということだ。現代美術的彫像が据えられた石畳の階段。しゃれたカフェやレストランが並び、展示会が開かれ、イベントが開かれるちょっとおしゃれでアカデミックな観光スポットを、いち早く訪れてみてはいかが。

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