パンを無駄にしないキャンペーン

公開日 : 2013年04月28日
最終更新 :
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「無駄にしたパンで何千もの住宅が建てられる」

地下鉄でこんなポスターを発見しました。

人々の購買意欲は旺盛、建築デザイン賞を取るような奇怪な形の集合住宅がどんどん建設されているイスタンブールで、このつつましさ。かえって目に留まりました。

トルコ人の中年以降だと「小さい頃は、古くなったパンは卵につけて焼いたりして食べたものなのに・・・」などとぼやく人もいますが、トルコ人は食べ物を結構粗末に扱うなあと日ごろから思っていた私は、このポスターを見て「ああ、こういう感覚もあるのね」と再確認したような次第。

古くなったパンは食べない人、周りの硬いところだけ食べて中の白い部分は残す人、4人家族なのに10本はあろうかというパンを買い込む人・・・確かにトルコ人家庭やレストランでは無駄になっているパンは山ほどあって、トルコ風ハンバーグに練りこんだりスープにつけたりして処理するにしても限りがあると思われる。パンを大事にしないトルコ人というイメージは、私がトルコに来たばかりの頃、しっかり植えつけられてしまったもので、なかなか払拭できません。トルコ語学校の帰り道、赤ちゃんを抱いて道にどっかり座り込んでいたロマであろう物乞い。何日も食べていません、おなかがすきました、と書かれたボードを下げている。よく考えると100キロもありそうなその体を維持するには、そんなに長い間のまず食わずだったはずはないのであるが、そこはつましい生活を送る純粋な学生の思考で、となりを歩いていた年若い友人が、ついそこで買ったばかりの軽食用ゴマリングパンを半分に割って物乞いに差し出した。ところが、物乞いはパンをはねのけ、「ゴマパンなんか絶対食べない!」とのたまったのである。いや、日本から来たばかりの私は正直びびった。物乞いの、馬鹿にするなという気迫にもずうずうしさにも。それをきっかけに、トルコの食生活におけるパンの価値の低さと、イスラムの喜捨の精神についてはよくよく考えさせられました。

あれからXX年、イスタンブールは急速に都会化し、ふと気がつけば人々は身奇麗になり、過剰な肥満はおろか植毛が横行して禿まで少なくなってしまったが、やっとパンを無駄にするのはやめようというところまで来たのだろうか。現在4人家族が一日平均何本のパンを買うか、またホームステイでもして調べたいところだよ。

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