信号は何色?

公開日 : 2007年05月19日
最終更新 :
0412-1239.jpg

危険度自慢が日常会話の南アフリカでは、夜の運転ではこれは暗黙の了解。交通量の減った人気のない夜道で、信号が赤だからとバカ正直に止まっていては、それこそバカをみるだけだ。たかだか携帯電話を奪うために命を奪われたり、拳銃で脅されたりしたくなければ、臨機応変に、危険予想・危機管理を試みなければならず、安全はルールが守ってくれるものではなく、自分自身で守るものなのだ。

治安に関して不安材料山積みの南アフリカ。どれだけ生活水準が高く、国に、自然に、人に、魅力があっても、天秤にかけるとバランスを取るのは難しい。南ア最大の都市ヨハネスブルグでさえ、異邦人が安心して乗れる公共交通機関はなく、徹底した車社会。おそらく一人一台の計算で乗りつけたのであろう、ジムの駐車場を埋める車の数々を見ていると、何がしか矛盾を覚えざるを得ない。マイカーで楽に登場し、わざわざマシン上で歩き・走り、汗を流すわけなのだから。しかし、この国では致し方のないことなのだろう。およそ他に妥当な移動手段が思いつかないのだから。

‘格差社会‘の名残か表れか、持つ者が整備した道路には、持たぬ者=歩行者への配慮など見受けられず、歩道も横断歩道もないに等しい。車が走る道こそが、まさに王道なのだ。そんな道なき道を歩くのは自殺行為に近く、外は歩けない、公共交通機関はない、となれば、もはや車に頼るしかない。もしも車がないのならば、軟禁状態も同然だ。これぞアフリカ、というよう青空のもと、当然鍵をかけ、物取りよけのスモークを張った窓を閉め、盗難時に備えたGP付の車でドライブするのは、気晴らしなのか、危険なのか…。

足=車であれば、一家に一台で事足りるわけもなく、ドライバーの数だけ保有台数は増える。大人は職場へ一人一台マイカー通勤。’持つ者’の子供は、登下校はおろか、デートの送迎も親頼み。会社に、学校に、買い物に、遊びに、人が動けば車が動く。

そんな文明社会にもにもかかわらず、信号機の故障などまさに日常茶飯事。あまりに毎度の光景のためか、おおらかさの表れか、混乱は起きないものの、これでは渋滞必至。車社会において、道路が動脈・静脈ならば、信号機は心臓部。心臓が止まっていては車ばかりか社会の流れも止まってしまう。

黒く消灯している信号機を前に、渋滞のさなかでふと思う。一体、この国の将来には何色の信号が点いているのだろうか。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。