マンデラ氏が死去 その数時間後、深夜の自宅前からの報告

公開日 : 2013年12月08日
最終更新 :

ネルソン・マンデラ氏死去の報道を聞き、12月6日(金)の午前0時過ぎに自宅前に急行しました。

自宅前の道路は警察によって封鎖されていましたので、マンデラ氏の自宅から一本離れた道に車を停めて、徒歩で自宅前に向かいました。身分証明書の提示などは一切求められませんでした。絶対視されることを嫌い、誰とでも気さくに接してきたマンデラ氏の生前の意思が反映されたのかもしれないな、と思いました。

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午前0時15分頃にマンデラ氏の自宅前に到着しました。すでに、訃報を聞きつけた大勢の市民やメディア関係者が自宅前に集まっていました。黒人、白人、カラードと肌の色に別け隔てはありません。マンデラ氏が目指した、誰もが共に安心して暮らせる「虹の国」がここでは実現されているように見えました。

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午前0時30分頃に、誰ともなく南アフリカ共和国国歌の大合唱が始まりました。大きな歌声と拍手が辺りに響き渡りました。「マディバ!マディバ!」とマンデラ氏の愛称を叫ぶ声も聞こえました。

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ショショローザ(出稼ぎ労働者の歌)やデモ行進時のかけ声など、曲を変えて大合唱は続きます。僕がマンデラ氏の自宅前を後にした午前3時頃にも、まだ大勢の市民がその場に残って声を響かせていました。

かつて、自由を求める闘いの中で仲間を失った時にも、人々は歌い、踊り、故人を送り出したといいます。僕はこの大合唱やかけ声から、仲間を送り出すにあたっての「彼らの流儀」を感じました。

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もちろん、自宅の方向をじっと見つめて静かにマンデラ氏を見送る人たちの姿もありました。道路脇にいつの間にかできた献花台には、たくさんのキャンドルや花束が早くも集まっていました。

場の雰囲気は、「それぞれが思い思いの形でマンデラ氏を見送ろう」というものでした。嘆き、悲しむ様子が全く感じられなかったことがとても印象に残っています。

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「貧困は自然現象ではなく、人間が生み出したものです。だから、人間の行動によって克服し、追放することができます。貧困の克服とは慈善行為ではなく、正義の行為であり、誰もが持つ権利を守ることです。そして、貧困が存在し続ける限り、自由はありえません」。生前マンデラ氏はこのような言葉を残しています。

僕は20代前半から、貧困の克服にさまざまな形で関わってきました。今、南アフリカに暮らす一員としてマンデラ氏の遺志をくんで、しっかりとこれからもこの課題に向き合っていこうという思いを新たにしました。

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