旧三国街道須川宿 みなかみ町

公開日 : 2021年09月10日
最終更新 :
筆者 : KaRyo

お疲れ様です。桐生特派員の加藤です!

今回はみなかみ町の須川宿を紹介します。

こちらは、たくみの里といったほうがわかりやすいかもですネ。

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三国街道須川宿の風景

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火の見櫓と青空と白い雲

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蔵に貼ってある古く懐かしい看板

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これは板木といいます。

須川宿は、明治43年に二宮尊徳の遺教を奨励し「須川報徳社」を設立しました。

その集会(常会)を招集するときや、道路清掃、雪かきなど、共同作業の開始を告げるときにたたきました。

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水車もありました。

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須川宿資料館

三国街道は、高崎宿で中山道から分かれ三国峠を経て越後にいたる道です。須川はその宿場で、近くには猿ヶ京の関所跡(関所資料館)があります。

■三国街道須川宿

・住所: 群馬県利根郡みなかみ町須川

筆者

群馬特派員

KaRyo

生まれ育った桐生、その広域のレストラン・風景・観光などを発信していこうと思います。

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