清盛塚までお散歩

公開日 : 2012年02月01日
最終更新 :
筆者 : 林 秀代

NHKの大河ドラマ「平清盛」の舞台のひとつである神戸。

松山ケンイチさんの豪快でやんちゃな平清盛の青年期の清盛が、これからどう変化していくのか楽しみです。

神戸市内には平家や平清盛ゆかりの場所が多くあります。清盛が遷都した福原京、修築した大輪田泊(おおわだのとまり)、戦のあった生田神社や須磨一の谷など、とても一日で見ることはできないほど、みなさん知ってました?

実は私、よく知りませんでした・・・(^_^;)

というわけで、寒い日でしたが清盛塚までお散歩へ出かけてきました。

スタート地点はJR神戸駅。地下鉄海岸線のハーバーランド駅や神戸高速鉄道の高速神戸駅も近くにあります。

国道2号線沿いに西へ10分ほど歩くと鎮守稲荷神社があり、境内の脇に小さな供養塔が見えます。平清盛の甥である平経俊(平敦盛の子)が、湊川の合戦後、長田の森から西出の浜に向けて敗走してきたところを源氏に撃たれ、この付近で亡くなったそうです。まだ18歳だったとのこと。

kiyomori1_1.jpg

その先の交差点には、七宮神社があります。清盛が日宋貿易の拠点のために修築していた人工島(平安時代に人工島!)、経が島の工事が風雨で難工事を強いられていました。どうやら埋め立てに必要な土を取っていた山が怒って天気を荒れさせているということで、その山の神を今の七宮に移築して祀ったといわれています。今の境内は阪神・淡路大震災後に再建されています。

kiyomori1_2.jpg

七宮神社から中央市場の方へ歩くと、倉庫が並び港街の雰囲気が出てきます。古いレンガ造りの洋館もあり、大きすぎず、小さすぎず、またちょっと懐かしさも感じます。築地橋まで来ると、平清盛の絵が描かれた築島水門と新川運河があり、遊歩道も整備されています。

kiyomori_10.jpg

神戸は大型船が停泊する貿易港のイメージですが、すぐ近くにこんなアットホームな港の街もあったんだと改めて実感。

kiyomori1_3.jpg

運河の遊歩道に小鯛大輪田泊の石椋(いわくら)が置いてありました。大輪田泊は奈良時代に行基によって築かれた歴史のある港で、平清盛も修築しました。大輪田の泊は「播磨五泊」という播磨の重要な港のひとつとして位置づけられていました。この石椋は清盛の時代よりも前のもので、防波堤や突堤の基礎のようなものだったそうです。

kiyomori1_4.jpg

また運河に沿って歩くと、おや、勝新さん、いや、これは清盛くん!

平成17年からいるとは、結構前から活動しているのですね。

kiyomori1_5.jpg

清盛くんから歩くこと数十メートルには、兵庫城跡と最初の兵庫県庁があったことを示す碑があります。戦国時代にはここに兵庫城がつくられ、明治時代になると、最初の兵庫県庁が設けられたのですね。県庁においては1年にも満たない期間だったようですが、やはりこの地は何かが始まるところなのでしょう。

そんな土地の持つ力のようなものを感じながら歩いて行くと、清盛塚がありました。

kiyomori1_8.jpg

中央市場駅まで歩くと、NHK大河ドラマ「平清盛」の放送に合わせて神戸市などが設置した、「歴史館」があります。残念なことに着いた頃には入館終了時刻を5分過ぎていました!

まだみていない場所もたくさんあるので、また出なおしましょう!

ということで、また平清盛関連の記事にご期待を。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。