京都御苑二十所 ・・・行かずに巡れる御苑の旧跡

公開日 : 2008年09月29日
最終更新 :
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夏籠り(?)で鈍った体を元に戻そうと、足慣らしに京都御苑の散策に出掛けました(27日)。

京都の人たちは京都御苑のことは「御苑」などと言わず、御所も御苑も区別しないで「御所」と呼んでいます。今言うところの御苑を昔は何と言っていたかは知りませんが(大内裏?)、その様子は現在とはまったく違っていました。

現在、御所と仙洞御所、大宮御所以外の、公園となっている場所には、かつては200もの公家屋敷がぎっしりと建ち並んでいました。豊臣秀吉が御所の周囲に公家たちの屋敷を集めたのが始まりのようですが、1869年(明治2年)の東京遷都に伴い公家たちも東京に移ってしまったため、一帯は急速に荒廃していったそうです。

8年後の1877年(明治10年)、天皇が京都に行幸した折、その荒廃ぶりを嘆き悲しみ、旧観の維持と保存の沙汰を下し、これによって公家たちの邸宅は取り壊され、跡を緑地として整備したのが現在の京都御苑の始まりです。

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ではこれまで見て回ったところの一部をご紹介します。御苑南の堺町御門から時計回りに掲載しています。行った気分で見て下さい、って無理ですよね!

第二番 九條邸跡

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第三番 閑院宮邸跡

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第六番 西園寺邸跡

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第七番 枇杷殿跡

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第十一番 近衛邸跡

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第十二番 猿ヶ辻

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第十四番 土御門邸跡

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第十五番 橋本家跡(皇女和宮生誕の地)

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第十八番 桜町

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第二十番 鷹司邸跡

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ついでながら、もともと平安京が造営されたときの御所(内裏)は、現在の位置から2キロほど西の船岡山の南方にあり、そこから南に延びる朱雀大路は、現在の千本通と重なります。1392年の南北朝合一を機に、その時の里内裏(さとだいり。内裏の焼失などにより公家の屋敷を臨時の内裏としたもの)があった場所が正式の内裏になったのが現在の京都御所です。

平安京自体が当初より東(左京側)にシフトしてきたのは、上記理由のほか、当時の右京が湿地帯だったため町として発展しなかったという理由もあったようです。

現在の京都御苑は東西約700メートル、南北約1300メートル、1周約4キロメートルの長方形をしています。ここに来ると広々とした中でゆったりとした気分になれますが、一通り散策するだけでも時間と気力と体力が必要です。そして東京遷都がなかったら、今の京都は、そして東京はどうなっていただろう? などと想像してしまいます。

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