方丈の庵
細殿は高貴な人々の行事や控えの場所として、また橋殿は御蔭祭(みかげまつり)* の時の神宝の奉安殿や、古くは行幸の際の公卿や殿上人の控えの場として使われた社殿で、建物自体はいつでも見ることができます。
* 御蔭祭:左京区八瀬の御蔭山から神霊を迎える祭祀。
今回の公開では普段なら無料で立ち入れる場所に結界(?)が設けられ、800円で中に入れて建物に上ることができます。細殿にはマネキンに着せて十二単が展示されており、橋殿には神宝が奉安されていました。十二単で過ごすのは何かと大変そうですが、その美しさには見蕩れます。
他にこちらも重要文化財の大炊殿(おおいどの:神饌を調理する社殿)や御井(みい)、御車舎(みくるまや)等々、様々な場所や宝物を見ることができました。
今回の公開について神社側からの情報は何もなく、開催期間などは分かりません。
そしてようやく本題ですが、下鴨神社の摂社の河合神社に、『方丈記』の著者の鴨長明(かものながあきら。一般に「かものちょうめい」)が住んだ庵を学術的に調査・考証して再現したという「方丈」があります。図画などではなく、形あるものとして見ることができ、見るなりうれしくなって思わずニンマリしてしまいました。試しに住んでみたい気にもなりましたが、バス・トイレなしとなるとちょっと無理かな?
長明は下鴨神社の禰宜(ねぎ)の次男として生まれ自らも神職に就きましたが、早くに両親を亡くしたこと、思うに任せぬ人生を歩まざるを得なかったこと、内向的で偏屈な性格の持ち主であったらしいことなどが、後に50歳で出家し、方丈を住処として隠棲することになる因となったようです。
そばで見ていた女性たちの、「あー、(鴨長明の)名前は聞いたことがある」という会話を耳にして、私としてはかなりガックリきてしまいました。
【記載内容について】
「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。
掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。
本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。
※情報修正・更新依頼はこちら
【リンク先の情報について】
「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。
リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。
ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。
弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。