大根だき ‐千本釈迦堂

公開日 : 2009年12月08日
最終更新 :
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12月8日は釈迦が悟りを開いた(成道した)日とされています。上京区の千本釈迦堂(正式名は大報恩寺。真言宗)では7日と8日に成道会の法要が行われ、無病息災を祈願して、炊いた大根が境内で振る舞われます。この大根だきの起源は鎌倉時代にあるとされ、同寺の三世慈禅上人が大根の切り口に梵字を書いて魔除けにしたのが始まりと言われます。

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大勢の客が訪れるため、本堂前から門を出て寺の南側の道路(五辻通)まで100メートル以上もあろうかという長い列が出来ていました。大根にありつくには本堂前で「大根だき券」(1000円)を買い求め、列に並ぶために一旦、境内の外に出なければなりません。でも列は意外と順調に進み、40分ほどで食べ始めることが出来ました。

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馬っ!じゃなくて旨っ! 大根は油揚げと一緒に薄甘く炊いてあります。飴色に炊き上がった大根は口に入れるととろけるようで、一杯欲しくなりました。ここでは大根だきに使う大根は元々長いものではなく、蕪のような丸い聖護院大根を使っていたそうですが、数が用意できなくなったと言うことで、現在は長いものになっています。汁も残さず頂きました。境内では祈祷を受けた生の大根(こちらは丸いもの。梵字が書いてあります)も売られていました。

昔はこんなに混むことはなかったのでしょうが、今は団体ツアーのコースにも入っており、食べる場所も専用で用意してあります。

10個の大鍋で炊かれる大根は5000本!1万5000食分だそうです。タッパーに入れて持ち帰る人もいました。大根だきは他の寺でも行われます。

ところで、この寺には本堂(国宝)にまつわる次のような話があります。

鎌倉時代の初め西洞院一條上るの辺りで長井飛騨守高次という洛中洛外に名の聞えた棟梁とその妻阿亀が住んでいました。

そのころ義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本堂を建立することになり、高次が総棟梁に選ばれ造営工事は着々と進んでいきましたが、高次ほどの名人も“千慮の一失”というべきか信徒寄進の四天柱の一本をあやまって短く切りおとしてしまったのです。心憂の毎日を過している夫の姿を見た妻の阿亀は古い記録を思い出し「いっそ斗栱をほどこせば」というひと言、この着想が結果として成功をおさめ、見事な大堂の骨組みが出来上ったのです。

安貞元年 十二月二十六日厳粛な上棟式が行なわれたが此の日を待たづしておかめは自ら自刃して果てたのです。女の提言により棟梁としての大任を果し得たという事が世間にもれきこえては……「この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。  高次は上棟の日亡き妻の面を御幣につけて飾り冥福と大堂の無事完成を祈ったといわれまた、この阿亀の話を傳え聞いた人々は貞淑で才知にたけた阿亀の最期に同情の涙を流して菩提を弔うため境内に宝筐院塔を建立しだれ言うとなくこれを「おかめ塚」と呼ぶようになったのです。

現在京都を中心として使用されているおかめの面の上棟御幣は阿亀の徳により“家宅の火災除け”家内安全と繁栄を祈って始められたものです。また、おかめの徳は“災を転じて福となす”というところから、建築成就工事安全、女一代厄難消滅、商人の商売繁盛などの招福信仰として全国を風靡するところとなっています。なお昭和五十四年の春有志により阿亀の大像が造立され福徳の像として祀られ“おかめ信仰”の輪が一層広がっております。

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