川は流れてどこどこ行くの?
おっしゃるとおり最終的にはそうなるのでしょうが、そこまで行く途中の話です。
桜並木で有名な左京区の哲学の道、その下を流れる川は琵琶湖疎水、正確には琵琶湖疎水分線です。この川は流れがゆるく、水が落ちる場所や白波が立つような所がありません。そのせいでどちらの方向に流れているのか分かりにくい川です。
一般に京都の河川は北から南へ流れています。ところがこの川は南から北へ流れているのです。人工の川なのでこんな流れにすることも出来たわけですが、ではこの川は最後にどこへ行き着くのでしょうか? 考えると、夜も寝られません(チョー古いネタだね。年が分かるぞ!と言ってるあなたも年が分かるぞ!)。地図で見ると賀茂川まで続いていますが…
(裏) (表)
昨日、蹴上にある琵琶湖疎水記念館に行き、長時間に渡り根掘り葉掘り聞いて来ました。疎水に関して知りたかった多くのことが、気持いいほど解決しました。
水運や発電、上水道や灌漑など多くの目的を持った琵琶湖疎水は明治23年(1890年)に5年がかりで完成しましたが、分線は特に京都市北部の灌漑を目的としたものでした。灌漑のためなら賀茂川や高野川から水を取れば済みそうな話ですが、両河川は水量が一定しないため分線を造ったのだそうです。
(地図は「昭文社都市地図・京都市」から.見にくくてすみません)
ではどうやってこれらの河川と交わらずに流れることが出来たのでしょうか?この疑問が実は最も知りたかったことでした。結論は簡明、思った通りでした。分線はこれらの下を潜って流れていたのです。言わば見えない立体交差ですが、銀閣寺前の白川との交差部分は今も見ることが出来ます。
現在、この川は灌漑の役目を終え、今は観光のためにだけ水を流しているような状態だそうです。そして流れも高野川と賀茂川で分断されています。分線の流れは高野川に入り、高野川と賀茂川の間の部分は川としての必要性もなくなってしまっているようでした。
近年、都会の中小の河川はその上に蓋をされ、暗渠となってその存在すら忘れられてしまうようなケースが増えて来ているようですが、琵琶湖疎水に限らずこういう川も含めて京都の河川について調べると、思いもしなかったことを知らされ、知れば知るほど新たな興味が湧いてきます。そして観光ガイドでは知り得ない、京都のより深い面を知ることが出来ます。有名な高瀬川、余り知られていない西高瀬川、昨年流れが復活した堀川などネタには事欠きませんが、長くなるのでこの続きはいずれまた…?
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