新島旧邸

公開日 : 2013年02月22日
最終更新 :
筆者 : Akio

御所の近くにある 新島旧邸に行って来ました。

ここは、同志社の創立者、新島襄さんと妻・八重さんの私邸です。

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新島旧邸一般公開 (無料)

◎2012年9月~2013年12月まで(毎週火曜日閉館)

見学申込:個人・団体ともインターネットによる予約申込制

(同志社大学ホームページの「新島八重と同志社特設サイト」から予約)

※ インターネットが使えない場合はFAXでの申し込み。

   FAXでの申込みは一週間前までに送付してください

 同志社大学 同志社社史資料センター  FAX:075-251-3055

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新島旧邸は、1878年に建てられた木造二階建ての和風建築で、

洋風建築の手法も取り入れられた建物です。

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新島八重さんと言いますと、NHK大河ドラマ「八重の桜」ですね。

新島旧邸を訪ねながら 八重さんの歩まれた道を思いました。

八重さんの生涯は、三つの時代に分けて考える事が出来るそうです。

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会津若松に生まれ育ち(旧姓・山本八重) 戊辰(ぼしん)戦争で洋式銃を持って

戦いぬいた娘時代。

戊辰戦争では、断髪・男装で銃を持ち新政府軍を相手に奮戦。

「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれたそうです。

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時が移り、兄の覚馬を頼って京都に出て新島襄さんと結婚。

洋装のクリスチャン・レディとして過された時代。

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そして 襄さんが亡くなられた後、静かに自適の生活を送りながらも、

日清・日露戦争の時は、篤志(とくし)看護婦として救護活動に奔走された晩年があります。

幕末から明治・大正・昭和初期の時代を、エネルギッシュに生きた新島八重さん。

強い意志の人で「元祖ハンサムウーマン」とも呼ばれたそうです。

新島旧邸は 和と洋の文化と共に、おしゃれな部屋テクの美しい建物でした。

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新島八重さんの 言葉。

   「どんなに波が荒く強くても、心の岩は決して動きません。」

   「元気の良い方というのは、感じの良いものです。」

   「自分がいくら不機嫌だからといって、自分の怒りにまかせて他人を怒る、などということは

    許されません。 」

   「人間は傲慢であってはいけません。」

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   新島八重さんは、20代後半から亡くなられるまでの 約60年間を京都で過ごされ

   教育者としての道を歩まれています。

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2013年2月・・新島旧邸に咲いた赤い山茶花が綺麗です。

           (2月お題"新生活の参考に◯◯で見つけたおしゃれな部屋テク")

               ※ 同志社女子大学HPから 写真二枚 お借りしています。

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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