醍醐の花見

公開日 : 2013年03月23日
最終更新 :
筆者 : Akio

伏見城です。咲き始めた桜が綺麗です。

伏見城と言いますと、豊臣秀吉さん。

秀吉さんの行った日本史上最大の花見・・・『醍醐の花見』が浮かんで来ます。

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慶長3年3月15日(1598年)醍醐の花見の日、伏見城から醍醐寺に向けて、

長い長い行列は出発しました

それは、総勢千三百名からの花見大行列でした。

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総勢千三百名の花見行列は、秀吉さんの近親の者を初めとし、諸大名から

その配下の者など、約四キロの大行列でした。

伏見城から醍醐寺です。

五三の桐が、桜の中に 浮かび上がっています。

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醍醐寺  京都市伏見区醍醐醍醐山

◎  大人 600円、中学生・高校生 300円

   2館共通券 大人1000円、中学生・高校生 500円

   3館共通券 大人1500円、中学生・高校生 750円

◎ JR京都駅からJR山科駅まで約5分。

   地下鉄東西線に乗り換え、醍醐駅まで約7分。徒歩10分

醍醐寺には約1.000本の桜があります。

寺院全体の桜は、これから咲き始めの感じでした。

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二年前のNHK総合テレビでは、『桜の木に恋して』~日本人と桜の物語~と言う番組で、

秀吉さんが行った「醍醐の花見」が再現ドラマとして放映されていました。

千三百人からの お花見・・・・参加した女性の衣装代だけでも 

現代のお金に換算すると39億円。。驚きのお花見です。 

女性各一人に 新調した着物三枚、進呈だったそうです。

天下人・豊臣秀吉さんの「醍醐の花見」は、空前の大イベントでした。

当時、満開の時期に合わせた桜が山道に、七百本植えられ、

更に道中には 華やかな茶屋が建ち並んでいたそうです。

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近しい人や諸大名、そして配下の人達等 総勢千三百人からの お花見・・

『醍醐の花見』は、秀吉さん最後の宴だったのでしょうか。

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この花見で詠まれた秀吉さんの句は、 

『名もしらぬ さくらは寺を あらわして いつか忘れん 花のおもかげ』

「醍醐の花見」 秀吉さん 六十二歳でした。

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翌年、秀吉さんは病に伏し 跡継ぎの豊臣秀頼を頼むと

家康や利家に言い残しながら、伏見城にて亡くなっています。

辞世の句は・・・・ 

「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」

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醍醐寺に咲く桜、約1,000本の中でも、

霊宝館前の早咲きの大枝垂桜は見事です。

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近くで見ると、この迫力。

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溢れるばかりの桜の花。

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今年も醍醐の桜は、カメラでは収まりきらない 

圧倒的な存在感で 咲いていました。

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醍醐寺は、秀吉さんの お花見の宴から、桜で有名な寺院になりました。

「醍醐の花見」という言葉からは、秀吉さんと その時代が浮かんで来ます。

秀吉さんが亡くなった後、豊臣の家臣達は全国各地に 

素晴らしい桜を残したとも伝わっています。

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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