時代が浮かぶ、島原の角屋さん。

公開日 : 2013年09月19日
最終更新 :
筆者 : Akio

時代が浮かぶ花街、「島原」です。

島原の入口は、島原大門。枝垂れ柳が揺れています。

島原 075.jpg

京都に、「島原」と言う地名や住所は無くて、俗称という感じです。

住所は「京都市下京区西新屋敷」。

タクシーには、「島原まで」と言うと 通じるとは思いますが 郵便や正式の住所としては

「京都市下京区西新屋敷」になります。

京都には現在、五つの花街がありますが、島原は この五つには 含まれていません。

それでも島原と言うと 今でも花街という感じがします。

島原 080.jpg

島原の名の由来は 1641年 幕府命令により 突然の移転命令が出て 

50軒ほどの置屋さんと 約20軒の揚屋さんは 現在地へと 移転を 余儀なくされました。

その時の、移転の様子や移転を受け入れる この辺りの住民の方達の狼狽ぶりが 

あまりにひどく『島原の乱』の様にも見えた事から・・・・・いつしかこの地が 

島原と呼ばれる様になったと伝わっています。

島原は かつて西郷隆盛・桂小五郎・坂本龍馬...といった 幕末の勤王志士達や、

近藤勇・芹沢鴨ら新撰組の面々も 利用していた所と言われています。

その時代 島原には 50軒ほどの置屋さんと 約20軒の揚屋さんがあったと聞きます。

現在でも 当時の姿のままに 保存されているのが角屋です。

角屋は木造二階建。表全体は格子造りです。

島原 003.jpg

現在は 『角屋もてなしの文化美術館』として一般公開されていて 島原の独特の文化や、

当時の宴席の場が見学出来ます。

〇公益財団法人 角屋保存会

〇〒600-8828 京都市下京区西新屋敷揚屋町32

〇TEL.075-351-0024/FAX.075-343-9102

〇 9月15日(日)~12月15日(日)

〇入館料 1000円      ・

島原 029.jpg

島原には 揚屋と置屋が存在していましたが この角屋は揚屋さんです。

揚屋さんは置屋さんから 太夫や芸妓を呼んで 遊宴を行う、言わば料亭・サロンです。

その為、宴会用の座敷のほかに、大きな台所が 有ります。

島原 017.jpg

お侍さんは 帳場で刀を預けてから 部屋に通されていました。

武士の命でもある 刀は 大切に刀箪笥に 保管されていた様です。

その時代、置屋さんから 太夫や芸妓を呼んで 華やかな宴席が行われていたのでしょね。

島原 044.jpg

新撰組 初代筆頭局長、芹沢鴨は ここでの宴席の後 壬生に戻った所を 

新撰組から暗殺されています。

島原 032.jpg

島原・・・夜毎、華やいだ宴が行われていた町だったのでしょうね。

揚屋さん、置屋さん。その時代にタイムスリップした様な町。

島原と角屋さんでした。

島原 037.jpg

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。